海の上に浮かぶ城−8
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賑わう港町には異国の人間も混じり、盛大に水の祭典を開いていた。
祭典といっても大掛かりなものでは無く、この地に住む者たちは毎年冬が明ける頃になると様々な線―――宗教の
違いや思想の違いのライン―――を超えて皆一同に店の自慢の物を出し合い、祭りに参加するのだ。
この祭典は普段、港に停泊する事を嫌がられる海賊すらも歓迎するらしく、『黒耀』の乗員は毎年この港町を訪れて
いた。けれど、中には検問に引っ掛かる海賊もいるらしく、そういう船は港に停泊する事は許されても祭りへの参加は
出来ない。
アレンは黒曜の船長に脇を抱えられて地上へと降りながら、そんな船を何隻も見かけた。
「神田、ラビは何所に行ったんですか?」
「あー?どうせまた掘り出しモンの本探しに行ったんだろ。この祭りには市もあるからな」
キョロキョロと後方を確認するアレンの問いに、神田は嫌そうに答える。
ラビは無類の本好きで、古い歴史書や異国の物語など、彼の船室には所狭しと本が積み重なっている。
その異常さ・・・もとい素晴らしさを、アレンは何日か前に身を以って知った。
アレンはぼんやりとラビの部屋を思い出し、口元に引きつった笑みを刻む。
この祭典で本を買い込むのは良いが、壁は全て本で埋め尽くされていたあの船室のどこにこれ以上本を置くのが謎で
仕方が無かった。
水路と路地の入り組んだ街を歩きながら、左右に点在する出店にアレンは大きな瞳を輝かせる。
可愛いらしい雑貨からガラス細工の小物まで売られており、東の国から譲られたという衣服はサラリとした手触りでと
ても着心地が良さそうな代物だった。
踊る心に比例してパタパタと駆け足になっていくアレンの背を見失わないようにしながら、神田はアレンの嬉しそうな
横顔に自然と口許が緩む。
1ヶ月ほど前の件で負傷した左腕は酷い傷痕を作ったものの、幸い日常生活に負担になるような後遺症を残す事は
無かった。
今もアレンは神田が与えたビロードのフード付きマントを着ているが、神田はこの祭りの間にもっと動きやすい服を
何枚か買ってやるつもりでいた。
ビロードの質は確かに良いが重いのが問題で、ただでさえ細いアレンにこの先ずっと着せているのは成長の妨げに
なる可能性があるからだ。
アレンが先程手にしていた服は確かに着るのも脱ぐのも楽だが、肌蹴易いので風の強い船の上で着せる事は出来ず、
買うわけにはいかなかった。
「神田!これ買いませんか!?」
いつの間にか10m以上も離れていたアレンに足早に近づき、迷子になったらどうする気だと軽く頭を叩く。
だがアレンは構う事無くニッコリと微笑み、一本の長い紐を神田の前に差し出した。
「ほら!紐自体の色は綺麗な濃紺なのに、端の部分だけ蒼いガラスで細工してるんです!!」
「欲しいのか?・・・何に使う気だ?」
「僕じゃありませんよ。神田の髪を結う紐です。いっつも細い布で縛ったりして・・・毎朝髪を結う僕の身にもなって下さい!」
「何でお前の身にならなくちゃいけねェんだよ!自分でやるって言い出したんだろうが!!」
「だから、せっかく綺麗な髪を結うんだからそれに相応しい結い紐を使いたいじゃないですか!!!」
店の前で「買う」「買わない」と叫ぶ言い争いは10分ほど続いたが、結局涙目になり始めたアレンを見兼ねて神田が
折れた。嬉しそうに店主と話をするアレンを微かに恨めしく思いながら、神田はポケットの中にある財布へと手を伸ばす。
が、
「あ?」
「神田、どうかしました?」
ガサガサとポケットを漁っている神田を振り返り、アレンは結い紐を指で弄びながら近付いた。
次第に神田の動きは停止していき、代わりに眉間の皺がググッと刻まれていく。
「神田?」
「・・・・無ェ」
「はい?」
「財布が無ェ。・・・ラビが持って行きやがった・・・・・・」
見る見る不機嫌になっていく神田にアレンは慌て、店の主人に「コレ、取り置いて下さい!!」と頼み込んで神田の手を
掴む。いくら神田でも無関係の人間に―――例え無関係でも、船の上ならばラビと神田の争いに水夫達は巻き込まれ
る―――当り散らしたりはしないだろうが、普段船上で暴挙を振るっている神田を見ているだけにアレンの背筋は冷たく
なる。
ラビが本を買う為に財布を持って行ってしまったのはどうしても結い紐が買いたかったアレンとしても腹立たしかったが、
今はとにかく広い場所に行き、神田の苛立ちを分散させる方が得策だった。
一度も訪れたことの無い街の路地を適当に歩き回り、アレンは本能的に市のある方―――食べ物の匂いのする方と
言っても良い―――へと足を向ける。
しばらく細い道を行くと視界は一気に開けて、そこには食べ物の店や、もっと規模の大きな出店が建ち並んでいた。
広場のようなそこは中央に石で作られた噴水があり、髪の色や肌の色の違う人間が異国の祭りを楽しみ、一緒になって
笑い合っていた。
思想や宗教の違いは争いを生むが、今日この日、この場所にそんな剣呑な雰囲気は無い。
アレンは無性に嬉しくなり、未だに苛立ちを見せていた神田をズルズルと噴水の傍まで連れて行った。
「おいっ」
「神田!何か入れ物持ってませんか?」
「はぁっ?」
突拍子も無い事を言い出すアレンに、先程まで沸点を越えかけていた怒りは何処かへ消え失せた。
眉間に皺を寄せながら適当に服を探り、昨夜水夫との賭けに勝って手に入れた麻の袋を取り出す。
普段ならばいくら賭けに勝ったからといって大して役に立ちそうも無い麻袋を受け取ったりはしないが、刺繍のされた
ソレはアレンが気に入ると思ったのだ。
実際、この時点でアレンはとても喜んでいるが・・・
「何やってんだ・・・?」
「見て分かりませんか?」
麻布が丈夫な事を引っ張ったりして確認したアレンはそれを四角形に近い形を作り、突然石畳の地面に置いた。
普通、袋は地面に置いて使用する物では無い。
満足げに頷くアレンの意図が1mmも理解出来ないでいる神田を見上げ、次いでフワリと蝶が舞うように微笑んだ。
「あの結い紐、僕が神田にプレゼントしますねっ」
噴水に背を向け、広場を往く人々を見渡す。
背筋を真っ直ぐ伸ばして両手を組み、胸の前に掲げて、アレンはスッと息を吸い込んだ。
櫓を持って言葉を交わし 擦れ違う舟に再会の手を振る
水を裂く舟は音も無く時を戻し ただゆるやかに歴史の街を往く
母の抱擁に似た穏やかな時の流れ・・・
幾万の民よ
それを神の祝福と言わず何と口ずさむのか
多くの民が歓びを歌えば
またこの幸いなる日へと誘う波を得る
唄い終わってゆっくり目を開けると、目の前には多くの人間が市を回る足を止めてアレンの歌声に魅せられていた。
一瞬後、広場に大きな歓声が湧く。
用意していた麻袋に何枚もの金貨が放り込まれ、思い掛けないその量に慌て出したアレンを神田は少し後ろから
呆然と見つめていた。
(そういえば・・・歌を聴いたのは初めに会った日以来だったな・・・・)
紡がれる音に誰もが足を止め、誰もが酔い、それは未だに投げ込まれている金貨に値するほど美しい声だった。
そう感じると同時に、神田はアレンを買った娼館の人間を心底罵る。
これ程の人間が聞き惚れる歌声を理解出来ないなど愚民も良いところだ。
古くから「水の都」と呼ばれてきたこの地の栄えを唄った歌は、この地に住まう者たちにとって嬉しかったに違いない。
「もう1曲歌ってくれ」という声が周囲から掛けられ始め、人の善いアレンは喜んで承知しようとする。
だがいつまでもそうしているわけにはいかず、神田は口許の笑みを髪を掻き揚げるなどの動作で誤魔化し、数分前
より異常に重くなった麻袋を手に取ってアレンの腕を引いた。
「それだけありゃ食い物も買えるだろ?お前が自分で稼いだ金だ。好きに遣えよ」
「あ、そうだ!結い紐を買わなくちゃ!!ご飯は後にしましょう?神田、早くっ」
「っ、おいコラ!!!」
広場に訪れた時と同じように、アレンは神田の腕を引いて来た路を戻っていく。
だがアレンは深く入り組んだ路地の一角で立ち止まってしまい、結局は神田がアレンの手を引いて目的の店へと辿り着いた。
「ほれ、お嬢さん。オマケしてあげるよ」
「え、わっ!ありがとうございます!!」
神田に贈った物より少し短い結い紐を渡され、アレンは小さな子供のように喜ぶ。
その横で、神田は店主の言った「お嬢さん」に噴出しそうになっていたのだが、当のアレンが気にしていない―――
気付いていない―――ので沈黙を守る事にした。
アレンを揶揄うのはもちろん面白いが、この笑顔を崩したくはない。
「行くぞ。次は何だ?」
「海の幸ですよ!ここへ来て魚料理を食べずに去るなんて勿体無いです!!」
「お前ここ来た事無ェんだろ・・・その情報はどこから仕入れたんだよ」
「ラビの部屋の本の中から発掘しました!」
「・・・好きにしろ」
通りを歩く人々に声を掛けて良さそうな店を探す中、神田は横を歩くアレンにふと思った事を口にした。
「おい、さっきの歌は誰の歌だ?」
アレンの歌声はもちろん美しかったが、土地に合った歌というものは大抵が吟遊詩人か元からこの地に住んでいた者
で無ければ感情を込めては唄えないだろう。
けれどアレンは今日初めてこの地を踏み、初めて唄った歌で多くの人間の足を止めた。
娼館でも聴いた事の無い歌を唄っていたようだが、訪れた客に教えられたものだろうかと神田は首を捻る。
「あぁ、さっきのですか?僕が作りました」
「・・・・・・何て言った?」
「だから、僕が作りました!あの場で!!」
平然と言い切ったアレンは神田の疑わしそうな問いが気に入らなかったのか、ぷっくりと片頬を膨らませて大きく言い放つ。
「船を降りたときから唄いたくて仕方無かったんです!凄く素敵な街だから・・・言葉がいくつも浮かんできて・・・」
「・・・船の上で唄わねぇのは、退屈だからかよ」
一気に機嫌が急下降した神田の手をギュッと握り、アレンは被ったフードの隙間から窺うように見上げる。
戸惑いと期待を含んだ銀灰色から見つめられ、神田は僅かに目線を逸らした。
「唄っても良いんですか?今までは作業の邪魔になるかなぁって思って・・・」
「前の船長や水夫がいた頃から、基本的に祭り好きばっかりが乗ってる船だ。アイツらだって喜ぶ」
「じゃあ、次の航海では是非!!」
嬉しそうに声を張り上げたアレンの頭には、航海の成功を願う曲が奏でられているのだろうか。
娼館で出会い、恋人という関係になった少年の素晴らしい才能に穏やかな笑みを零しながら、神田は水上を往くゴンドラに
金貨を一枚放り投げた。
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ヴェネツィアだと気付いた方は何人くらいいらっしゃるでしょう・・・。
素晴らしいです。行った事ありません。
行った事ありませんから「ココは何処だよ」って訊かれても無回答です。
行った事のあるお姉様、私の脳内の憧れが文になっただけなので、
どうかお許し下さい。
海上浮城、8話目。
部屋にある世界地図を何度も見ながら書いています今日この頃。
かつては「アドリア海の女王」と呼ばれるほど繁栄した海洋国家が
今回の舞台です。絶品海の幸。
そして、8話目にしてようやく[海賊×歌唄い]の『歌唄い』が本領発揮。
長かったね・・・ごめんね・・・・・orz
お姉様方もお待たせ致しました(待ってません。良かったね)。
ヴェニス愛してるからって、詩はどうにもなりません・・・愛と比例して
詩も上手くなりたいです。何ていうか、アレン君に唄わせる詩だけ。
(歌の中に出てきた「櫓」は、「ろ」と読みます。オールみたいな物です)
canon 06 03 23 thu