海の上に浮かぶ城−7
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神田はトマの言葉に落胆を隠しきれないまま自室へと急ぐ。自分を呼んでいるアレンの元へ、少しでも早く行ってやりたかった。
また寝ているかも知れないとゆっくり扉を押せば、先程よりもしっかりと開いた目と視線が絡む。
「カンダ・・・」
甘えるように片腕を伸ばすアレンに自然と口許が緩み、神田はアレンの手を取って優しく握り締めた。
血の気を無くしている指先に体温を与え、空いている方の手で汗の浮かぶ額に張り付く前髪を払い、横へ流す。
こんな風に弱っていないときでも、アレンは神田に髪を梳かれる行為を気に入っていた。
あんな事があったばかりで『もしかしたら男に恐怖を覚えるか』と神田は危惧したが、要らぬ世話だったらしい。
それとも、自分だからだろうか。フッと笑って頭を振り、自惚れた考えを頭から追い出した。
「包帯、取り替えてもらえば良かっただろ」
「すみません・・・」
「替えなければ化膿するかも知れない。破傷風にでもなったらどうする気だ、ほら」
枕元の包帯を取って左腕を出せと促す。
アレンはしばらく口を開閉させて何かを言いたそうにしていたが、今嫌がってもいつかはしなければならない事だと腹を括った。
着せられていた神田の国の民族衣装を肩からずらすと、あまりに痛々しい傷が目に飛び込む。
二の腕から手首ギリギリまで裂けた皮膚、まるで轍の跡のようなそれに、神田は口の端を切れるほど強く噛んだ。
「髪の毛だけじゃなくて、コレまで隠さなきゃいけなくなっちゃいました」
アハハという乾いた笑いに胸を締め付けられ、神田はベッドに腰掛けてアレンを引き寄せる。
もちろん傷に響かぬように、15歳というにはあまりに細い腰を抱え込んで服の袖からそっと左腕を引き抜き、
血に汚れた包帯を替える。
どんなにゆっくりやっても少し触れるだけで痛みは広がるらしく、アレンは終始ビクビクと身体を震わせていた。
清潔な包帯に替えた腕にまた服を着せ、ずり落ちてしまっていた右肩の袖も引っ張り上げようとした時、
「おい」
急に声のトーンが下がった神田に驚いて顔を上げると、右肩を指差している彼と目が合い、指された場所を見遣る。
そこには大きな痣が出来ていて、アレンは「あっ」と声を上げた。
「これも・・・あの男達にやられたのか?」
「ちっ、違います!それは・・・僕が自分で・・・・・・」
言いにくそうに俯くアレンの顎をとり、神田は強制的に真正面から見つめる。
腰を抱き抱えられていては逃げる事など出来ないし、無理に動けば激痛に身を竦ませなければならなくなりそうで怖い。
アレンはやはり言いにくそうに小さく溜息を吐き、口を開いた。
「女の人達がカンダとラビに群がったとき・・・弾き飛ばされちゃいました・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・ック、ハハハハハ!!」
笑い出した神田をしばらく呆然と見上げていたが、我に返ったアレンは思いっきり不満そうに眉を顰めた。
「酷い・・・」
「くくっ、あー・・・久しぶりに笑ったな・・・・・・」
笑ったな、と過去形で言う彼の声は未だに愉快そうに震えている事にムッとしながら、アレンは少しだけ頬を膨らませる。
そしてその膨らませた頬を見て小動物のようだ、とまた笑い出す神田に多少諦めに似た思いを抱え込んでいると、
ご機嫌取りのように額にキスが落とされた。
そんな事では騙されない。そう言いたかったが、神田の温もりを求めていたアレンには到底跳ね返せないキスだった。
(キスされるのは好き。カンダだから・・・きっとカンダだから好きなんだ・・・・・・)
端整に整った顔を見つめて、自分の心に『認めるんだ』と呼び掛ける。
絶対的な恐怖の中で思い出したのは誰か、最期に一目で良いから会いたかったと望んだのは誰か。
思い出せば思い出すだけ、アレンは自分が神田の事ばかりを考えていた事に頬を朱に染めた。
神田が助けに来てくれた時は、本当に心から歓喜したのだ。
この感情が恋の原点であると、痛い経験や危ない経験の中で知る事が出来た。
「カンダ、僕・・・」
神田は自分を嫌ってはいないかも知れないけれど、好かれているという絶対的な自信はない。
けれどアレンには、声が震えないように努めるだけで精一杯だった。
「カンダと女の人がキスをしているのを見て、すごく・・・凄く気分が悪くなって・・・・・・」
そんな風に、自由に生きる海賊の心を縛るような事を言う自分を、神田は煩わしく思うかも知れない。
それでも、船を下ろされてでも、この気持ちをありのままに伝えたかった。
「僕以外にもあんな事平気でするんだって思ったら、すごくっ、厭で・・・っ」
堪えきれず落ちた涙は、アレンの腰を抱いている神田の手の上に落ち、弾けた。
「哀しくて、どうしたら良いか分からなかった!だから、見ていたくなくてっ、船に・・・っ先に戻っ――――ッ」
半ば悲鳴のようにも聞こえる声を止める為に、神田はアレンの唇を自分のそれで塞いだ。
幾度も幾度も触れ合うだけのキスを繰り返し重ね、小さな水音を立てながらゆっくりと顔を離す。
「その言葉、俺に都合の良いように解釈するぞ?」
髪を優しく梳かれ、当の本人は銀灰色をパチパチと瞬かせる。
目の前の青年はどこか楽しそうに、嬉しそうに口端を緩く吊り上げていて、アレンの銀灰色を真っ直ぐに見据えている。
言葉も選ばず必死になって想いを伝えようとしたアレンは自分が言った内容の重大さに気付いていない。
どれだけ遠回しに聞こえても、要するにこの少年は嫉妬したのだ。神田にキスをする彼女たち、その行為を許す神田に。
自分の頭で自覚するよりも早く、アレンは心で神田を求めていた。
それがアレンの口から告げられた今、神田が抑制すべき感情など無に等しい。
「カンダ・・・?」
「一つ訊くが」
あまり必要無いが、確認のために一つだけ。
「女共と一緒にいるのを見て厭だったのは俺だけか?」
「・・・ラビや他の水夫さん達のことはあんまり見ていませんでしたけど?」
不思議そうに首を傾げるから。その言葉に偽りを見出せないから。
力任せに抱き締めたい衝動に駆られながら、けれどアレンの傷を思うと欲のままに突っ走るわけにもいかず、
神田は先程のキスで艶めいた唇に長い口付けをする事でどうにか欲望を抑え込んだ。
「俺も、お前が好きだ」
「・・・嬉しい・・・凄く、幸せです」
この少年は嬉しい事を言ってくれる。
娼館で育ちながら汚れを知らず、ずっと真っ白な雪のように、地面の土にも空からの雨にも混じわらずにいた白。
その白に黒いインクを一滴だけ落としたのは神田で、それは次第にアレンの中を染めた。
「カンダ・・・」
「ん?」
目許を朱に染めて片腕を伸ばすアレンを見れば、上目遣いで見上げられていて。
「ぎゅ、って」
「――――――ッッ!?」
(クソッ・・・犯されてぇのか?)
想いが通じてか目をランランと輝かせるアレンの腕を取り、膝の上に抱き上げて体重を自分の胸にかけさせる。
たったそれだけで、アレンは嬉しそうに微笑んだ。
(しばらくは手、出せねぇな・・・・・・)
両想いから恋人いう立場に状況を置き換えても、アレンの左腕と心に作られた傷は容易に治るものではない。
残念極まりないが、それはあの殺しても惜しくない男二人を八つ裂きにする事で収めよう。
真新しい恋人が心中でかなり不穏な事を考えている事をアレンが気付く筈もなく。
口許に笑みを刻んだ神田がふとアレンの髪を梳いている途中、白い首元に付いている赤い跡を見るなりその首筋に顔を埋めた。
「っ、ひゃ・・・!」
力強く首の一部を吸われ、アレンは驚きで短い悲鳴を上げた。
あの男が残した跡はかなり色濃く残されていて、神田はその上からさらにきつく吸い上げたのだ。
きっと7日以上はゆうに消えることの無い所有印を。
「人のモンに跡付けやがって・・・八つ裂きじゃ済まさねぇ・・・・・・」
「あ、あの時ってすでにカンダの所有物だったんですか?」
「ばーか」
お前は「あの時」から、俺のモンなんだよ。
耳元で囁かれ、アレンの熱は少し上がった。
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甘・・・?
まぁアレン君痛い目に遭わせちゃったから、このくらい許されますよね?(笑)
トマは水夫長にしようかなぁと思ったんですが・・・彼、水夫長って感じじゃ無いし・・・。
『いいや、もう医者で』って落ち着いたのです(適当)
この話(海上浮城)元は1話完結型パラで、最初の1話で終わりの予定だったんです。
それで、もし気が向いたら続編を書きましょうか・・・なぁんて思っていて・・・。
暇潰しに2話目書いていたら自然と3話と4話まで行っちゃって。
何してんだ自分。
canon 06 01 13 fri