海の上に浮かぶ城−6
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求めていた人の顔がすぐ傍にあって、僕は手を伸ばした。
その手を優しく包んでくれた人の唇に少しだけ紅い物が付いていて、それは食べ物の色では無く。
きっと、あの時の女の物で。
僕はそれを見るのが凄く辛くて、自分からその唇に口付けた。
見上げると、漆黒の瞳を見つめるとフワリと微笑まれて、心から溢れる歓喜に溺れながら。
僕はまた目を閉じた。
普段結っている髪を夜風に晒し、潮の香りに目を細めながら神田は無駄に長い溜息を吐いた。
口許に手を当て、先程交わした口付けを思い出す。
「ったく、寝惚けてたんじゃないだろうな・・・」
「なぁにがさ〜?」
「うお!?」
神出鬼没がキャッチコピーの航海長は長年付き合っている神田でも予想外の場所から現れる。
今回は空の酒樽の中。一体いつからその中にいたのか、自分は何か妙な事を口走らなかっただろうか。
しばらく考え込んで、神田はもう一つ溜息を吐いた。
「溜息吐くと幸せが逃げるさ〜」
「黙ってろ。・・・どうでも良いが、そのままアイツに近付くなよ?」
『口が利けなくなるまで殴った後、死を乞いだしたら鞭打ちにしろ。コイツが受けた苦痛を嫌というほど教えてやれ』
と、アレンに気付かれぬよう母国語で命令した神田の言葉をラビは忠実にこなしたのだろうが、血生臭い者をアレンの
傍へ行かせるのはどうかと思ったのだ。
きっとしばらくは、身体の痛みも心の傷みも消えないだろうから。
ラビは気分を害した様子もなく、わかってるさ、と呟いて闇のような海を眺めた。
「で、アレンが寝惚けて何だって?」
話を掘り返された事に眉を顰めたが、神田は観念したように息を吐く。
「熱に魘されてか、ワケのわからん夢を見たかは知らないが・・・キスされた」
「ユウ・・・普通魘されたり夢見たりしても男にキスはしないと思うさ・・・・・・」
本気で悩んでいる船長に、航海長はやんわりと突っ込みを入れた。
神田はアレンへの気持ちに気付いたようだがアレンはどうなのだろう、とラビは腕組みして首を傾げる。
朦朧とする意識でも男相手にキスをするというのは随分ぶっ飛んだ行動だ。
無意識でも、その相手に好意を寄せていなければ出来ない行動だと思う。
(確認するのが早いよなぁ・・・でも俺はこの格好じゃいけねぇし、っていうか俺が行くような話じゃ無いさ)
「なぁユウ、アレンに直接訊いてみれば?俺のことどう思う?って」
「直球かよ」
「直球じゃなきゃアレンは一生気付かねぇと思うぜ?」
「だが―――――」
「神田殿」
この船に乗っていて、神田の事を『船長』と呼ばない人間はラビを含めて3人程度。
航海長で幼馴染みのラビ、水夫見習いですらないアレンは問題外、そして今神田の名を呼んだ医師免許を持つトマだ。
アレンからキスを受けた直後に交代で訪れた黒耀専属の医師。彼がここに居るという事はアレンの診察を終えたという事。
ラビはにんまりと笑って『ほら、アレンとこ行く口実が出来た』と余計な事を楽しそうに言い、神田から軽く蹴られてしまう。
「アレン殿が呼んでおりますので、僭越ながらお呼びに・・・」
「あぁ、悪いな」
呼んでいる、という言葉に反応した神田は急ぎ足でトマの横を通り過ぎようとしたが、服の裾をグイッと引っ張られては立ち
止まらざるを得ない。まだ何かあるのか?と失礼ながら訝しげな視線を投げ掛けるとトマは少しだけ目を伏せ、そしてすぐに
医者としての顔を神田に向けた。
「アレン殿の左腕の傷・・・やはり、残ると思われます」
静かな声に神田は目を見開き、そうか、と小さく呟いた。
「遅くまでご苦労だった」
「いえ・・・。包帯はアレン殿の枕元に置いてあります。汗をかいたときは拭いて、清潔な物に取り替えて差し上げて下さい」
トマは深く頭を下げ、自分に割り与えられている船室へと戻った。
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ジャカジャン。トマです。
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