海の上に浮かぶ城−2






霧に包まれている上に風もなく、これでは進むどころか目的の方角さえ分からない。 それでも水夫達は忙しなく働いていて、アレンは所在無さ気に舳先に座り込んで海を眺めていた。 つい半月前ならば、この身が船に、海の上にあるなんて思ってもみなかったというのに。 アレンの人生はこの船の船長と出会う事で大きく変わり、また今までにない感情をその胸に植え付ける事となった。 「アレン」 「あ、ラビさん。お疲れ様です」 「さん、は無し」 背後から突然声を掛けられて振り向けば、そこには鮮やかなオレンジ色の青年がアレンを見下ろしていた。 この船に乗せてもらい、一番に神田が紹介してくれたのがラビ。 神田の親友――――神田曰く悪友――――である彼は、神田と同い年でありながら航海長という海の上では無くてはならない ポジションを務めている。 神田もあの歳で船長というのは驚いたが、アレンはふと思って訊いてみた。 「えーっと、ラビ、普通の海賊ってカンダやラビみたいに若い人が上に立つもの何ですか?」 端から訊けば不服従と取れなくもない発言だが、ラビは気にする風もなく笑った。 それに、アレンはまだ15歳。水夫として働いているならば別だが、どちらにせよ正式に一人前の水夫扱いは16歳からだ。 不服従を唱えれば鞭打ち、というのが海賊の相場だが、元よりそんな事はこの船の長が許さないだろう。 「そんな事ねーよ?たまたま『黒耀』の船長と航海長は若いだけさ。他の海賊は・・・あんまり仲良くねぇけど結構年上が多いさ」 「じゃあ、カンダもラビも優秀なんですね」 ニッコリと笑うアレンを見て、ラビは面白いなと思う。 神田が自分から海に飛び込んでまで港に迎えに行った少年、それだけでも十分驚いたが、本当に驚いたのはその後。 アレンを紹介した時の神田の瞳や声音に、ラビは一瞬海に飛び込んで頭を覚醒させようかと本気で思ったのだ。 普段なら船の上で怒号を飛ばし、船員を叱り付け、至らない所があれば鋭利な漆黒の瞳で睨み付ける。 人一人くらいはその瞳だけで殺せるのでは、と旧友のラビが思うほど、神田の眼光の鋭さは常人には堪えられないもの。 それが、微塵も無かった。 アレンに向けられる瞳は何処までも優しく穏やかで、掛ける声音も神田崇拝者の水夫が聞けば卒倒するくらい甘いものだった。 神田が陸に降りたのは僅か2日ほど。 その2日でこの少年と何があったのか、ラビは溢れ出してきそうな己の好奇心をどうにか胸に留め、 その心を紛らわすようにアレンの頭をクシャクシャと撫でた。 「優秀、ってわけじゃないさ。ユウが船長になって、俺が航海長になって、水夫が居て、それで海賊になっただけの話」 「でも、無能な人に、人はついて行かないでしょう?二人にはそれを成せる力があるから、 だから皆さんついて行くんでしょう?」 そう告げる笑顔は、例えこの静かな海が荒れてもその微笑みだけで嵐を鎮めてしまいそうに穏やか。 (・・・・・・やっぱ、面白れぇさ) 神田が自分から船に乗せただけでも十分面白かったが、アレン自身の物の考え方をラビは早くも好きになりそうだった。 航海は常に刺激的だが、アレンがそこにいるだけで何となく更に刺激が加わり、 それでいて安らぐような気も持ち合わせている少年はひょっとしたらとても貴重な存在では無いだろうか。 ラビは考え事をしていた為か、無意識にアレンの珍しい白銀の髪に指を絡める。 故に、背後に迫っていた黒い影に気付く事は無かった。 ゴスッ、と鈍い音がして、ラビはその場に後頭部を抱えて蹲る。 「痛ってぇ・・・・・・」 「サボってねぇで働け、航海長殿」 船が進まないからか、明らかに機嫌の悪そうな顔をした神田の愛刀がラビの後頭部を強打したらしい。 余程痛かったのか、眼帯に隠されていない方のラビの瞳にはうっすらと涙が滲んでいた。 「おい」 「え、あ、何ですか?」 ラビに話し掛けているのだろうと勘違いしたアレンは、一瞬遅れて神田の声に言葉を返す。 「こんな端にいて、落ちたら助けられねぇだろ。霧も深いんだから部屋で大人しくしてろ」 「うっわ、いつもなら誰かが落ちても助けるなんて絶対言わねぇのにぅぐおっ!?」 復活したラビの鳩尾に、もう一度神田の愛刀がお見舞いされた。 今度は復活するのに多少時間が掛かるだろう。 神田は小さく舌打ちすると、サボるなよと蹲るラビに一声掛けてアレンの手を取った。 そのまま引きずられるように引っ張られ、アレンは神田の歩調に会わせて早足で歩く。 「あの、カンダ」 「何だ」 「ずっと考えていたんですけど、僕も水夫さん達の見習いとして働かせてもらえませんか?」 アレンの言葉に振り返り、神田は歩く速度を緩めた。 「水夫に何か言われたのか?」 この船に乗り、神田がアレンを乗せる事を初めに言ったのは航海長であるラビ。 彼にさえ了承を得れば、後はこの船の頭である自分が決めた事なのだから他の者の意見を聞くきは無かった。 船長に異論を唱える事が出来るとすれば、それは旧友の航海長。 というか、ラビ意外に神田に異論を唱えられる強靱な心の持ち主は、残念ながらこの船には乗っていないのだ。 そして実際、神田がアレンをこの船に乗せると言ったとき水夫達は異論を唱えず、もし異論を唱えるような者がいても 神田の腰に帯刀されている和風の剣が唸っただけの事。 自分で勝手に進めた話だが、もしかしたら毛色の変わったアレンを邪魔に思うような水夫がいるのでは、 という考えは、初めから神田の心の片隅に潜んでいた。 だが、アレンは思いっきり首を横に振り、神田の言葉を否定する。 「違います!皆さんは僕に優しいです!そりゃ・・・初めはちょっと奇異な目で見られましたけど、今は本当に優しくて・・・・・・」 「じゃあどうしてだ?・・・・・・大体、歌唄いのお前が水夫みたいな重労働をこなせるとは思えないぜ?」 「なっ、僕だって男です!それなりに力はあります!!」 腕まくりをして力こぶを見せようとするアレンの腕を取り、その薄く筋肉のついた二の腕を引き寄せる。 何だろう、と思案するアレンの瞳を見つめてニヤリと笑った神田は、突然アレンの腕に唇を触れさせてきつく吸い上げた。 チリッとした痛みに身体を震わせれば、神田の唇が触れていた場所に赤い跡が見えてアレンは叫びそうになる。 「水夫の仕事をするなら袖のある服は肩まで上げているのが基本、それを見せびらかしたいなら、 見習いでも何でも好きにしろ」 婉然と微笑む神田に抗議する事も出来ず、アレンは口をパクパクと開閉させる事しか出来ない。 それでも懸命に息を整え、神田をキッと睨んだ。 「僕は役に立ちたいんです!」 真剣な瞳で言うアレンを一瞥して溜息を吐き、自室である部屋の鍵を開けてアレンを押し込んだ。 船室に余りが無いためにアレンもここで――――しかも神田の腕の中で――――寝起きしているが、そんな事は建前に過ぎず。 ただ神田がアレンを目の届くところに置いておきたいだけだという事は、おそらくアレン以外の誰もが気付いている。 普通なら割り当てられた部屋に水夫数人と眠るのだろうが、神田がそれを許す筈もない。 神田は憤慨しているアレンをベッドに座らせると、その柔らかな唇に触れるだけの口付けを落とした。 たったそれだけの事でビクリと肩を震わせるアレンを見て、神田は内心苦い気持ちになる。 「気付いてないだろうが、お前が来てから船に活気が湧いてる。役には立ってんだよ」 「でも・・・・・・」 「どうしてもやりたいって言うなら16歳になる1ヶ月前だな。それに、どうせ次の街に行かねぇとお前に合う剣も無い」 言うなり、神田は踵を返す。 アレンは不満げに唇を尖らせていたがそれ以上は反論する事もなく、ただ少しだけ寂しげに肩を落とした。 「部屋から出るなよ」 残された言葉とパタンという閉められた扉の音だけが、アレンの中に無駄に大きく響いた。 神田の足音が去って、アレンは誰もいないのを良い事に盛大な溜息を吐き、ベッドに身体を投げ出す。 初めて会った日以降、神田はアレンに触れようとしない。 それはここが自分の指揮する船の上だからか、単にこの身体に興味を無くしたからかは本人にしか分からない。 アレンはあんな場所で長い時間を過ごしていたが、元々情欲に縁の薄い少年だった。 自慰だって娼館の喧噪の中で飛び交っている言葉の一部を知識として持っていただけで、実際にやった事など皆無。 女と身体を繋げた事だって無かったアレンには、正真正銘何もかも神田が初めてだったのだ。 「何でしないのかな・・・・・・」 思わず口から出た言葉に、アレンは自分で言っておきながら顔を熟れた林檎のように赤く染めた。 (な、何言ってるの僕!!まるで・・・これじゃ僕がして欲しいみたいっ・・・・・・) 顔を赤くさせたり青くさせたり、誰かが見ていれば間違いなく揶揄されただろうアレンは自分の動揺っぷりが 他人の目から見て面白いと思われる事など考えも及ばないだろう。 何せ、アレン自身は至極真剣なのだから。 「でも・・・イヤじゃなかった・・・」 最初は当然抵抗したが、最後はほとんど意識を飛ばしていたが自分から求めたような記憶がある。 その痴態を思うと気を失いそうになるが、アレンは深呼吸する事でどうにか内心を宥める事に成功した。 神田の匂いの残るシーツに顔を埋め、まるで仔猫が親猫に身を擦り寄せるように丸くなる。 ベッドから伝わる船の揺れはまるで揺り籠のようで、アレンの意識が深い眠りにつくのにそう時間は掛からなかった。 潮風に晒される髪を肩の位置で結び直し、神田はようやく晴れてきた視界に安堵の溜息を吐いた。 これで目的地は大体把握出来るし、次第に風も吹くだろう。 「明日の昼くらいには港にも着くさ〜」 進路を正確な地図に書いてやってきたラビが神田の足下に腰を下ろし、嬉しそうに頬を緩める。 その笑顔が霧が晴れた事に対する純粋な歓びではないと見抜いた神田は、訝しげにラビを睨み付けた。 「何考えてる?」 「アレンの事、って言ったら?」 普段は人の良い笑みばかり浮かべているくせに、こんな時だけは新しい玩具を手に入れた子供のような瞳でいる。 その瞳の奥には神田を揶揄する気満々の色が窺えたが、別段危険な色が含まれていない事に神田は肩の力を抜いた。 そのまましばらく波の音に耳を傾けていると、ラビが静かに呟いた。 「俺さぁ、了承はしたけど内心反対だったわけよ。アレン、船に乗せんの。船の上は危ねーかんな」 「じゃあ何で許したんだ?」 昔馴染みなだけに、神田とラビは互いに信頼を置いている。 どれだけ言い争いはしても船長と航海長はパートナーで、それ以上に気を許せる友人だった。 「んー・・・・・・、良い傾向かなって。ユウが他人に興味持つのは」 子供の頃から海賊になるのだと、二人でよく言っていた。 同じ夢を幼い頃から見ていたからこそ理解出来る事が多く、一緒にいるだけで互いの内側は見たくなくとも見える事が多かった。 ラビは昔から、神田が他人に対してあまりにも無関心な部分を案じていた。 もしかしたらこの幼馴染みは、ずっと独りで生きていくのか。 友人とは言え、航海長は所詮パートナーに過ぎず、神田の心の一番奥にまで踏み込む事は出来ない。 けれどあの白い少年ならば。 船に乗せる事を望み、海の上は危険だと十分理解した上で求めたアレンならば、神田は変われるのでは無いだろうか。 そんな希望を、ラビは持っていた。 「別に、興味があるわけじゃねぇ」 「『あの人』から譲り受けた大事な船に乗せたんだから、興味があるのは当たり前だろ。・・・・・・あぁ、興味っていうか、恋?」 「あぁ!?」 表情からして「何を言っているんだこの馬鹿」と言っているのが判り、ラビは口をあんぐりと開けた。 「何?ユウ気付いてなかったさ?アレンを見るときすっげー愛しそうに見てんぜ?」 ラビの言葉に、今度は神田がポカンと口を開けた。 しばらくそのまま静止し、突然片手で口許を覆う。 東洋人特有の象牙色の肌は、ほんのりと赤く染まっていた。 (う、わ・・・無意識?) ラビはそれなりに異性と付き合った事はあるが、神田は無かったように記憶している。 肉体の関係だけならば経験はあるが――――というか、ラビが無理矢理娼館に連れて行った―――― 自分の心を使って恋愛をしたことは無かったのだろう。 この戸惑い用は明らかにソレを裏付けている。 (キスくらい挨拶みたいにするクセに・・・女だって余裕で抱くクセに・・・・・・) 神田の中で肉体の欲求と恋愛感情は全く別物だったのか、と。ラビは今更ながらに気付いた。 同時に、神田の気を惹こうと必死で色目を使っていた女達が哀れになってくる。それも今更の話だったが。 物凄く呆れた顔をしたラビが溜息を吐いている横で、神田は思い切り眉を寄せて頭を抱え、普段使わない脳の回線を駆使した。 (恋情!?俺はアイツに恋情を抱いていたのか!!?) 確かに、一目見た瞬間に『欲しい』と思った。 大量の金貨を惜しげもなく店に渡し、アレンを抱いたときもそこら辺の娼婦を抱くより満たされた気持ちでいた。 それは認めざるを得なくても、そういう感情と恋情が結びつく物なのか、神田は頭が痛くなる。 (仮にアレンを好きになったんだとして・・・俺は順番を間違えてないか?) 出会ったときに自分の恋情に気付いていたなら、アレンの身体を無理矢理開く真似はしなかったかも知れない。 けれど今となっては、抱いたからこそアレンに情が移ったとも考えられる。 どうにか導き出そうとする考えは何処かで矛盾してしまい、神田は苦虫を噛み潰したような表情を露わにした。 好きか嫌いか、二択を問われれば間違いなく『好き』だと答えるだろう。 いくら泣きつかれたと言っても嫌いな人間を傍に置きたいと思うほど、神田は博愛主義では無いのだから。 「ま、あんまり悩むなよ。明日、明後日で離れるような仲じゃねぇんだからさ」 アレンだってユウに離れて欲しくなくて追い掛けてきたんだろ? と苦笑するラビが腰を上げて談笑している水夫に近付いていく背を見送り、神田は前髪を掻き上げ、自身も腰を上げた。 何度も溜息を吐きながら「渦巻く感情を押し殺すには一度寝てしまおう」という考えで自室へと戻った神田は、 自分の判断が間違っていた事に早々に気付く。 ベッドの上で安心しきった寝顔を見せる少年。 猫のように丸まって眠る様は見ているだけで人の心を和ませ、純粋に愛らしいと思ってしまう。 神田は出来るだけ起こさないように近付き、ベッドの傍らに座るとアレンの雪のような髪をサラリと梳いた。 「好きだ、って言ったら・・・お前どうするんだろうな」 アレンは確かに神田を求めて走って来たが、それは自分を連れだしてくれるという存在を見付けたからではないのか。 娼館にいるよりは海の上の方がマシだと、神田を望んだわけではなく、あの暮らしを続けたくないからではないのか。 神田には自信がなかった。 あの時アレンが自分の名を呼んでいた事を嬉しいと思い、気付いたときには冷たい海に飛び込んでアレンを迎えに行っていた。 思えば、何のために自分を追い掛けてきたのか、神田はアレンから聞いていない。 (俺が一人で考えても・・・・・・答えなんか出るわけねぇな・・・) ただ一つ言えるのは、アレンが自分を求めたのは恋情からではないだろう。 無理矢理抱いたのだから、アレンが自分を恋愛の対象として見る確率はほとんど無い。しかもたった一晩で。 最後にはアレンが自分から求めたが、きっと初めて味わった快感に触発されただけだ。 アレンは求めればまた嫌がりながらも身体を明け渡すかも知れない。 だがそれは、今の神田にとって求めている行為ではあっても、求めている感情を伴うものではないのだ。 そこに自分が抱えているものと同じ感情が無ければ、意味が無い。 「どうして追い掛けてきたんだ・・・モヤシ・・・・・・」 今すぐ起こして聞きたいという焦燥感に呑まれそうになりながら、神田はアレンの薄く開いた唇に自分のそれを重ねた。 Back  Next
海上浮城(海の上に浮かぶ城)第2弾。 ↑カイジョウフジョウって何なのかしら・・・(笑) 神田とアレンくっつけたくて頑張ってます今日この頃。 ラビ兄エンジン始動。 やっぱラビはお兄ちゃんじゃなきゃ!!!(爆走) 神アレ至上主義!ラビ兄単体派!!ビバ!!!! canon  05 10 31 mon
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