海の上に浮かぶ城−13
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「アレン・・・!!!」
まだ陽も昇らない時間、時刻は5時にもなっていなかっただろう。
突如ドンドンと殴りつけるように叩かれた扉に、シーツにくるまっていたアレンは飛び起きてベッドから転げ落ちた。
「アレン!神田!!起きて!街が燃えてるんだ・・・!!!」
「!?」
二人は顔を見合わせ、脱ぎ捨てていた服を素早く身に纏う。
アレンは胸元の紐を結ばず、神田はいつも纏めている髪をそのままに、傍に置いていた六幻を手に取った。
朝は神田の髪を結ってあげようと思っていたアレンだったが、不安と恐怖で泣き出しそうなジャンの声は一刻を争う事態を
教えている。窓の外を見ると、夜明け前の都を嫌な明かりが包んでいた。
『街が燃えている』。その言葉の通り、家や教会、他の建物も全て呑み込まれようと―――――。
「ジャン!!」
部屋を飛び出せば、蒼白になって小さく震える少年が一瞬和らいだ表情を溢す。
けれどすぐに唇を引き結び、ジャンは声を張り上げた。
「祭典を狙って悪い海賊が街に入り込んだみたいで・・・数はそんなに多くないらしいんだけど、アイツ等・・・街に火を・・・ッ」
悔しそうに俯いたジャンを一瞥し、神田は廊下の端にある窓の外を睨み付けながらアレンを探し回っていた時にラビが言っ
ていた事を思い出していた。
『祭典に紛れ込んで、西の海賊が来てるらしいさ。気になって港でそれっぽいの探してみたんだけど、多分商船か何かに紛
れてて分からなかった』
西の海軍は“無敵艦隊”と呼ばれ、その船員は規律を守る事で有名だが、『西の海賊』となればそれは全く別の話だ。
神田たちの家は船の上と言っても過言では無いが、陸地で暮らせる家は英国のプリマスにある。
その英国はかつて北と南で二分され、王達は互いの広大な領地を侵さないという暗黙の了解を守っていた。けれど百年以上
も続いたその了解も永遠に続くことは無く、強欲だった北の王によって破られる。そしてそれを前々から予測していた南の
王は北の何倍もの勢力を上げて侵略者を排除し、北の王を孤島に流刑、王の一族を英国から追放したのだ。
流刑に処された王は後に孤独な最期を遂げたとラビの部屋の本のどれかに書いていたが、追放された王の一族はその頃貿易
に力を上げていた西に逃げ、穏やかに暮らそうと生活を始めた者もいた。だが、王の直系の者達だけは、いつか南――――
現在の英国は南が統一している――――に復讐をと、今も密やかに狙っている。
『例え千年経とうとも、我等のこの誇り高き血を絶やしてはならない。南の穢れた血を枯らせ―――――!!』
子孫は先祖である北の王の言葉を、南の統一から数百年経った今も守り続けているという話だ。
一国の王でも無い神田には理解し兼ねる逸話だが、北の王の直系が西の海賊の頭だという話は酒の肴に聞いた事があった。
今回襲ってきた西の海賊が王の直系とは限らない。
だがもし直系だったならば、僅かでも南の血を持つ者は虐殺されてしまうだろう。本の中で、北の王族は古くから血生臭
い歴史を描いていた。だからこそ、南の王は脅威を感じ、彼らを国から追い出すという手段まで使ったのだ。
本の中の話と笑う者も居るが、奴等にはどういうわけか南の血を嗅ぎ分ける能力を生まれながらに持っているという。
神田も迷信深い性質では無いが、こういう状況ではあらゆる情報が自分を守る術の一つだった。
「おい、この宿に居るのはお前だけなのか?」
「他のお客は下で待ってる!後はアレンと神田だけ!!」
「お父さんや他の人達は?ジャンを置いて逃げたわけじゃ・・・」
「違う――――ッ!!!!」
アレンの言葉を遮り、幼い身体の全てで叫ぶ。
「父さんと皆は・・・自分達の街を守るんだって、だから俺にお客さん達を避難させろって・・・・・」
本当は、自分も行きたかった。けれど自分が行っても足手纏いになるだけだと分かっていたから、ジャンは父の言い付けを
守って客人たちを叩き起こし、安全な場所まで案内する役目を負ったのだ。
必ず帰ってくる、そう言い残して去った父の後姿が眼裏に浮かぶ。じわりと目尻に涙が滲んだが、袖でグイッと拭い去った
ジャンの瞳は、今自分がやるべき事だけを見据えていた。
「赤毛の兄ちゃんは船を東の港に移すって言って先に出たよ!急いで!!お客さんと一緒に安全な場所まで案内するから!」
先に階下へ下りたジャンの後を追い、アレン、神田と続く。
他の客は皆最低限の荷物だけを持ち、昨日までの祭典を楽しんでいた笑顔はどこにも見えない。
神田とアレンを含めて二十人ほどの客を裏口へと誘導すると、ジャンはまず自分が顔だけを出して周囲に敵がいない事を確認
した。
左と右に出る道があるが、右はすでに炎が近付いていて、とても進める道では無かった。
「ついて来て!!」
駆け出したジャンの背を、客人が追う。途中逃げ惑って擦れ違う人間に「そっちは駄目だ!!」とジャンが叫んだが、聞こ
えていないだろう。彼らも一緒に・・・そう思ったけれど、今引き返せば敵に遭うかも知れない。
最優先は、自分の宿の客人を安全な場所まで逃がす事。
燃える街、叫ぶ知人の声、それら全てに震え上がっていっそ泣いてしまいたい衝動に駆られながらも、ジャンは懸命に自分
の頭に描かれている街の地図を思い浮かべ、炎から逃げながら目的地までの最短距離を考えた。
密接した家が立ち並ぶ都は、炎の回りも早い。至る所に水路があることだけは救いだったが、風が吹けばいつ飛び火が燃え
移るか分からなかった。
「広場はきっともう駄目だ・・・次の角を曲がって、少し回り道になるけど丘を登れば・・・・・!!」
「―――――丘を登れば、何だって?小僧」
「!?」
「ジャン!!!!」
角を曲がった瞬間、低く恐ろしい声と、一瞬遅れてアレンが自分の名を呼ぶのが聞こえた。
高く抱え上げられた剣が炎の光を映して紅く燃えている。
父の顔が浮かぶ。
友の声が懐かしい。
殺されるだろう自分を助けられない客人の叫びが聞こえる。
けれど脳内に響くのは、「死にたくない」という言葉だけだった。
―――――――――ザシュッ・・・!!
「う、がぁあ、あ・・・!?」
蹲ったジャンの頬に、生温い何かがポタポタと触れる。恐る恐る目を開けばそれは血で・・・けれど、自分の身体のどこにも
傷らしきモノは無い。
呆然としながらも不思議に思って顔を上げれば、自分を背に庇って見慣れない剣を構えた神田の姿があった。
鋭い刃の先から紅く伝う滴が、柄で止まって地面へと落ちる。そのすぐ傍に、ジャンを殺そうとした男の腕が、剣を握り締
めたままの状態で転がっていた。
「ぅ、腕がぁ・・・腕がぁあ――――ッ!!」
「もう片方も失くしたくなきゃ黙ってろ、下衆が」
炎の揺らめきが、神田の精悍な横顔を照らす。会った時からアレンとは違う美しさを身一つに備えていると思っていたけれ
ど、それがまさか“戦い”という状況の中で際立つとは思ってもみなかった。
アレンが歌を唄うために舞い降りた天使ならば、神田はこの事態を予測して地に降り立った戦いの神、クゥイリヌスのよう
だと思う。
天使に神、言い過ぎと思われるかも知れないが、お世辞でも何でも無く、二人の空気は他とどこか違っていた。
相反する色を持ちながら、決して互いを損なう事が無い・・・・・いや、この二人だからこそ、それを成し得るのだろう。
「ジャン!大丈夫?」
駆け寄ってきたアレンの声にハッと我に返り、ジャンは気の抜けた笑顔で笑ってみせる。
「うん・・・、神田が守ってくれたから」
「そう、良かった・・・」
安堵の表情を見せるアレンを、こんな時でも「可愛いな」と思ってしまい、ジャンは内心苦笑を漏らす。
出会ってまだ一日も経っていないけれど、本当に好きだと思った。
もし神田より早く出会っていたら、自分とアレンの関係も違っていたのかと・・・途方も無い事を考えたジャンはクスリと笑
って、目を瞑る。
この二人は、出会うために生まれたのだろう。もしかしたら、前世で約束をしていたのかも知れない。
来世で会おう、と。
いつか必ず見つけ出してみせる、と。
そんな風に思わせられるくらいには、何か見えない絆を感じる二人だから―――――。
「お前等、西の海賊だってな?」
「ぐ、ぅ・・・それ、が・・・どうした!」
「・・・北の王の末裔か」
言葉に、腕を落とされた男の顔がニタリと歪む。
今にも失血死しそうなほど顔色の悪い状態では、そんな笑顔を浮かべるのは奇妙としか言いようが無かった。
「俺達は一族の家臣の末裔だ・・・今も昔も、尊い方の為にだけ在る・・・・・」
「今も・・・尊い方だと?・・・何故家臣の末裔が西の海賊にいる?西に流されたのは王の一族だけの筈だ!!」
「ひひっ、ひゃはははははっ!!!!」
一瞬の隙を狙ったつもりだろうが、殴りかかってくるコンマ何秒かの時間があれば神田が体勢を整えるなど他愛も無い事
だった。六幻を構え直し、ただ突進してくるだけの人間の胸を裂く。男はしばらく虫の息で痙攣していたが、やがて沈黙
した。
神田は血で汚れた刃を男の服で拭き取り、眉を顰める。
男の発言が気になったが、“西の海賊”だと分かった以上、ただ安全な場所に逃げるだけでは意味が無い。この都で生まれ
育ったものならば身を潜めていれば良いが、自分や―――――自分と居るアレンも、夜明けにはここを離れなければならない。
アレンやジャン、客人を振り返り、誰にも気付かれないよう小さく溜息を吐く。
今から東の港に向かえば、ジャンや他の人間の命が危ない。安全な場所まで盾となって送らねば、気持ちの良い朝陽を船の
上で拝む事は出来ないだろう。
「おい、急ぐぞ」
「っ、うん!この道を真っ直ぐだよ!」
途中出会った敵数人を神田が薙ぎ払いながら走り、壊れかけの建物を避け多少の回り道をしたが、全員無事に丘の入り口に
辿り着いた。皆息を乱して汗をかいていたが、誰にも目立った外傷は見えない。
丘の上にも敵の気配は感じられないので、ジャンの予想通り、ここから逃げれば大丈夫だろう。
「モヤシ、船に戻る」
「え・・・?」
「一緒に・・・行かねーの?」
アレンとジャンがそれぞれ戸惑いの声を上げたが、今はその理由について説明している暇は無い。
ラビが船を東の港へと移したのは、黒耀の水夫の大半に南の血が流れているからだった。そして神田の身体にも、薄くでは
あるがその血が流れている。アレンに関しては判らなかったが、ここに置いていく事など絶対に出来なかった。
「あぁ・・・世話になった」
「ま、待って!東の港まで地図描くから!!」
「ありがと、ぅあ―――――!?」
慌てて紙やペンが無いかと身体を探り出したジャンの懐から突然何かが飛び出し、アレンは驚いてよろめいた。
ジャン自身も一瞬何が起きたのか分からなかったが、思い出したようにソレの名を呼んだ。
「ティムキャンピー!!」
パタパタと舞う鳥はジャンの懐が余程苦しかったのか、自由に空を飛び回る事を喜んで宙を旋回する。
また急に居なくなられては困るからと逃げる際に無理矢理服の隠しに押し込んだのを忘れていて、ジャンは少し申し訳なさ
そうに小鳥を見上げた。
「アレン!こいつが俺の友達で、ティムキャンピー」
「あっ、昨日言ってた・・・」
「うん。大事な親友がくれた、大事な小鳥。だから友達なんだ」
切なそうに、嬉しそうに言うジャンはどこか誇らしげで、アレンは目を細めた。
「おーい!早く行かなきゃまた敵に見付かっちまうよ!!」
客人の一人が丘の途中から声を上げ、別れが迫る。
アレンは何か言葉を残そうと思うが、あまりに早い別れに口を噤んだ。
ジャンもそんなアレンを見て、困ったように笑う。これが最期の時では無いと願いたいけれど、そんな事は誰にも分からな
い。
東の港への地図も無く、今すぐここで送り出して良いものかと迷う。客人たちだけでも逃げてくれれば自分が港まで案内す
るのだが、生憎客人たちは祭典の為に訪れた別の土地の人間で、この先の道を知らない。
心が急いて上手く考えが纏まらないジャンが唇を噛み締めて悔しそうに眉を寄せた時、
「ピィッ」
甲高く、空を舞う小鳥が鳴いた。
「そうだ・・・」
名案だと思う。
東の港は俺とレオが毎日のように遊んでいた場所だ。
そこには二人の共通の友達のティムキャンピーも毎日のように行っていた。
これしかない。
いつかまた会える、レオにも、お前にも・・・アレン達にも―――――!!!!
「ティム!アレンたちを東の港へ連れて行ってくれ!!」
「ジャン!?」
「アレン・・・俺の友達、レオって言うんだけど・・・もし航海の中で、降りた街でもし会えたら、ティムキャンピーを渡してく
れる?俺は元気だって・・・・・お前との夢を、俺は忘れてないって」
驚愕したアレンに、ジャンは真摯な瞳で願う。
アレンたちを送ったらティムキャンピーは戻ってくれば良い。けれど、これはチャンスだと思うのだ。
違う場所に居る友に会いに行く事は、まだ幼いジャンには出来ない。だからもし旅立つ彼らに約束の小鳥を託せたなら、い
つかレオに会えるかも知れないと期待して・・・。
「わかった。もしレオ君に会えたら、きっと・・・」
ジャンの手からアレンの肩へティムキャンピーが移り、少し小首を傾げている。
その小さな頭を指先で撫でて、ジャンはいつかまた会える日を思って、「頼んだぞ」と声を掛けた。
「神田・・・次会えたら、船に乗せてくれる?」
周囲を警戒していた神田に声を掛けて、叶いそうに無い願いを呟いてみる。
けれどこの青年は意外にも、ジャンを一瞥して「あぁ」と短く返してくれた。
「じゃあ、元気で」
「ジャンも・・・きっと、また会いに来るから」
「うん!待ってる!また歌聴かせてよ!!」
丘を途中まで登っていた客人に追いつく為に、ジャンは背を向ける。
それから少しその背を見詰めていたアレンは、神田に腕を引かれて港へと向かう足を踏み出した。
ティムキャンピーを見失わないように走る神田の後を、アレンが追う。
東の港へと逃げる者も居たのだろう。待ち構えていた敵が嫌な笑みを浮かべて西製の長剣を手に待ち構えていたが、神田の
敵では無かった。
迷いの無い動きで敵を殺す神田の背を見詰めながら、アレンはこくりと咽喉を鳴らす。
彼は、海賊だ。
今更ながらにそう実感した。
以前、何の役にも立たない自分が嫌でせめて水夫に・・・と頼んだ事があったけれど、断られてしまった。
あの時何故神田が拒否したのか、今なら分かる。
今のアレンに、人は殺せない。ではこれから剣の練習をしていけば殺せるようになるのかと言えば、それも分からなかった。
細い路地の分かれ道を曲がり、先を行く神田は進行方向から来た何人かの人間と肩をぶつける。
その勢いに少しよろめき、壁に手をついて俯いた一瞬、
「次はきっと、 を貰うよ」
「――――――ッ!?」
「ッ、神田?」
顔を上げると、後ろに居たのは追いついて来たアレンだけだった。
擦れ違った人間は路地を曲がったのか、もう見えない。
「・・・・・・・・・・・・何でも無ェ」
後方を睨み付ける神田の様子をおかしいと感じたが、遥か先を飛ぶティムキャンピーを見失いそうになって二人は再び駆け出した。
アドリアの海が朝を迎える。
紅く燃える街が離れていくのを見詰めながら、アレンは船尾で静かな歌を唄っていた。
炎が鎮まる事を祈って。
再会を、願って―――――。
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ヴェニス編終了デス。
色々突っ込みたい所があるとは思います(笑)が、その辺りは
BBSや拍手でお願い致します。誤字脱字報告万歳大歓迎。
とりあえず、神田さんに耳打ちしたのが誰かは訊かずとも分か
って頂けると信じております。訊かれても応えませんよ(^^)v
「クゥイリヌス」はイタリアの戦いの神です。
他にも二、三人居たんですけどね・・・ちょっと不名誉な神様に
思えてやめました(苦笑)
2006 07 21 canon