A hometown of tears 05




「な、にしてんだ、お前」
「……別に、何でもないわよ」
 毛布に包まって床に座っていた黎花は出てきた神田をキッと睨め上げ、ぎこちない動作でゆっくりと立ち上がる。
 いつからそこに座っていたのか、何でも無いようにパンッと汚れを払う顔色はお世辞にも良いとは言い難い。小刻みに震えている指先は血が通っているのか疑わしいほど白く、神田は眉を顰めた。
「俺が居たから入って来なかったのか」
「そんなのじゃないわ!! たまたまっ……通り、掛かって……」
 あからさまに意地を張って言い返してきた黎花は、それが真実で無いために語尾を濁す。
 敵視されている自覚のある神田も、アレンがよく話に出す『黎花』が、通り掛かって話し声が聞こえたからと立ち聞きをするような少女で無いことは知っていた。
 その証拠に、アレンは神田に黎花に会ったか? と訊いた。きっとこの少女は、初めからこの部屋に来る用事があったのだろう。
 大きな瞳に薄っすらと涙が滲んでいるのは、おそらくここで大方の話を聞いたせいだ。不可抗力だったにしろ、幼い子供が知るには辛いことだったかも知れない。とは言え、聞かれてしまったものは仕方が無いのだが。
「アレン……もう大丈夫なの?」
 搾り出すような声に「多分な」と短く返すと、「そう」と安堵に満ちた相槌が応えた。
 斜め下からちらりと送られた視線も、少しの気まずさと戸惑いに揺れている。
 アレンの過去だけでは無く、アレンが最後に言った言葉を聞いていたのは明白で、神田は僅かに表情を歪めた。
「何で、言わなかったの。皆をAKUMAにさせない為に、無理矢理連れて帰ったんだって。言ってくれていたら、私だってあんな態度とらなかった!!」
 案の定訊かれるだろうとは思っていたものの、実際口にされると居心地が悪い。
 理由を聞かされず勝手に神田という人間を誤解した自分を許せない黎花に、当の本人は思わず「話す義務は無い」と咽喉まで出掛かった言葉をぎりぎりのところで飲み込む。代わりにうんざりとした溜息を吐いた神田に、黎花は責めるような瞳で尚も訴えた。
「知っていたら……酷いこと言ったりしなかった」
(もう少し早く来てくれていたなら、皆死んだりしなかったのにッ)
 命を懸けて戦うことは、誰にでも出来るものじゃない。どんなに急いでも人には限界があるのだと少し考えれば分かるのに、感情だけで口走ったことを今更に後悔した。
 それに、今だから分かる。
(適合者って凄いの?)
 あれは、アレンには言ってはいけない言葉だった。
 大切な父を葬った左手は適合者の証。もしかしたら、あの言葉はアレンを知らず知らずの内に傷付けていたかも知れない。
 大勢の大人たちに紛れて旅をしてきた中で、人の顔色を窺うことには慣れていた。大して意味も無く言ったことでも誰かにとっては嬉しいことかも知れないし、もちろんその逆の結果を生むこともあるのだと心得ているつもりだった。けれど歳の近いアレンに出会って、仲の良い友達が出来て、きっと心が緩んでしまっていたのだ。普段なら気をつける言動も、時が経つにつれて気にしなくなっていった。ありのままの自分を晒しても受け入れられる喜びを、この心はもっと感じていたかったのだ。
「ごめん、なさい……」
 頭を下げると、涙腺に溜まっていた滴が落ちて廊下の色を変えた。
「お前が謝る必要は無ぇだろ」
「でもッ」
「泣かれる方が面倒だ。……お前を泣かせたことが知れたら、あいつから何を言われるか分かったもんじゃねぇ」
 扉の向こうに居るアレンを指す声は、呆れを含んでいながらも温かさがあった。
 同僚と会話しているときには聞いた事の無い声音。それは単純に、相手に抱いている感情の違いからだろう。
 すとん、と胸に落ちた解釈は妙に納得出来、黎花はぱちぱちと瞬きを繰り返した。
 初めて会ったときから、どうしてアレンがあんなに神田に懐いているのか理解できなかった。けれどあれは、ただ「懐いている」だけじゃなかったのだ。
 神田がアレンのことを口にするときと同じように、神田の話をするアレンは、一緒に遊んでいるときには見せない表情をいくつも見せた。そして神田と話をしているときのアレンの表情は、いつだって飛びっきりのものだった。
  「特別なのね」
 どちらが、ではなく。きっとどちらも。
 ぽつりと零れた言葉に神田は意味が分からないという顔をしたが、わざわざ教えるような真似はしなかった。
 二人の間に通う雰囲気は、これからもどんどん変わっていく気がする。それは自然とそうなっていくものだろうし、誰かがけしかけるようなことをしなくても、二人はいずれ上手くいく。そんな自信が、黎花の胸には漠然と息衝いていた。
 それに正直なところ、あのくるくると変わる表情がたった一人の為にあるのだという事実は気に入らない。
 絶対の信頼と愛情に溢れるあの笑顔は、遠くから見ているだけでも幸せな気分にさせてくれる。それを独り占めしている贅沢に気付いていない男に、アレンから想いを寄せられていることを話すなんて勿体なくて出来ないのが、素直な乙女心でもあった。
「……ねぇ、神田にとってアレンってどんな存在?」
 初めて口にした名前は照れ臭さもあって舌に馴染まず、内容が内容だけに声が少し上擦る。
 呼ばれた本人もいささか驚いた様子で、「どんな存在?」と言葉を繰り返して眉間に深い皺を刻んだ。
 基本的に他人との関わりを深く考えない神田に、そんな質問をしてきた者は今までに一人も居ない。それが「下手なことを訊いて怒らせると後が怖いから」という恐怖心からであることを当人は知らないだろうが、何よりもまず、「訊いたところでまともな答えは期待出来ない」というのが大きな理由だった。
 黙り込んだ神田を見上げる黎花の大きな瞳が、時間が経つにつれてじっとりと細められていく。
 本気で考えているからこその時間とは言え、神田がアレンのことを『特別な存在』として考えたことが無かったと証明されるには十分過ぎる沈黙だった。
「もう良いわよ……それにこれは神田だけが考えなくちゃいけないことじゃないし」
「あ? お前さっきから何が言いてェんだよ」
「だーかーら、もう良いって言ってるでしょ。しつこい男ね」
「ってめぇ……」
 自分から質問しておいて何のつもりだ、と尤もな怒りを露にする神田からふいっと顔を背け、黎花はぐちゃぐちゃに丸めていた毛布を引き摺らずに持ち歩ける大きさまで畳み直した。
「本当はアレンの看病をするつもりだったんだけど……もう大丈夫なんでしょ?」
 部屋の前に座り込んでいた本当の理由が分かり、神田は「それでか」と納得する。
「多分な。今はもう眠ってる」
「じゃあ良いわ。また明日来るから」
 あっさりと頷いた黎花は踵を返し、自室に戻るために階段の方へと歩き始める。
 毛布を抱えている所為でよたよたとした足取りは見ていて危なっかしくも感じたが、持って来ることが出来たなら持ち帰ることも出来るだろう。
 その場に残った神田は空のカップを食堂に返しに行くかと少し迷ったが、面倒臭さが勝って明日の朝食時に持っていくことに決めた。
「神田-----、」
 アレンの隣にある自室のノブに手を掛けた瞬間、名を呼ばれた方に視線を送ると、階段を下りる途中で足を止めている黎花が見えた。
「ありがとう。……助けてくれて」
 距離的に聞こえるかどうかという大きさの声は、音を隔てるものが何もなかったおかげですんなりと神田の耳に届いた。
 僅かに瞠られた漆黒に居心地の悪さを感じたのか、「それだけ」と言って黎花は足早に階下へと下りて行った。















「あー……何だか凄く疲れた」
 毛布を放り投げ、その上からダイブするようにベッドに突っ伏した黎花は心と腹の底から声を絞り出した。
 頭の中に一気に色んな情報が詰め込まれ、ついでに和解するなんて有り得ないと思っていた相手の誤解が解けたことは本当に予想外で、自分のテリトリーに帰って来た瞬間に身体の力が抜けきっていた。
 盗み聞きをするつもりはなかったにせよ、アレンの過去を無断で聞いてしまったことにも罪悪感を覚えている。アレンが語り出したときにあの場を離れていればこんな申し訳なさを感じる必要も無かったのに、と思いながら、明日会いに行ったら『ゲーム』を終わらせようと告げる決心はすでについていた。
「謝ったら、許して……くれそう。アレンなら」
 想像できる未来にそう気は重くならなかったが、それではやっぱりアレンが損をしている気がしてならない。かと言って自身に「じゃあどうしたいの?」と語りかけてみても納得がいく回答は無く、心の中で何度もアレンに謝罪した。
「ほんと、お詫びも兼ねて出来るお礼ってないかしら……」
 もちろんお世話になった団員にも、それこそ神田にも何かしなければならないとは思うが、誰かの役に立つことは些細なことから難しいことまで幅が広い上、対象者が多ければ多いほど内容にもバラつきが出てしまってなかなか良い案が浮かばない。
 それに何よりもまず優先されるのは、「形では無く人の心に残せるものを成すこと」。
 改めて考えてみれば実はそれが一番難しいんじゃないかと思えてくるものの、受け継いだ信念を裏切って楽な選択をするつもりは毛頭無かった。
「はぁ……」
 結局考えは振り出しに戻り、許容量を超えた黎花は悲鳴の代わりに大きな溜息を零した。
 部屋に置かれている時計の秒針の音と、通気口の中を吹く細い風の音だけがやたらと大きく聞こえる。
 妙な疲れ方をしたせいで指一本すら動かしたくないと思っていたところに、不意にノックの音が響いた。
「黎花君、居るかい?」
「……え? コムイ室長?」
 思わぬ来客にベッドから身体を引き剥がし、慌てて鍵まで掛けていた扉を開ける。
 「寝るところだった?」と申し訳無さそうに微笑んだコムイに首を振ることで応えると、良かったと柔らかい笑みが返された。
「遅くなってごめんね。やっと君の血縁者や、それと別のことについても話が出来そうだから-----」
「あ……」
 いつかは訪れると思っていた日が、目前に迫る。
 突然のことに言葉を失くしていると、同じ目線まで膝を折ったコムイが「僕の部屋で話そうか」と、穏やかな口調で言った。





「-----どうかな? もし黎花君さえ良ければ、なんだけどね」
 初めて来たときと変わらず荒れ果てた部屋のソファに座り、黎花は黙ってコムイの話を聞いていた。
 部屋に着いてから手渡されたカップの中身は、ほとんど口を付けていないままもう大分冷めている。冷えた指先がカップから温度を奪ったんだろうな、などとぼんやり思いながら、コムイの問い掛けに少しの時間を要して答えた。
「“それ”って……皆の役に立てること? お世話になった皆へのお礼にもなるかしら?」
「それはもちろん。あ、だけど強制じゃないよ? これはいくつかある選択肢の一つだと思ってもらえれば良いから」
 そう深刻な顔をしないで、と困ったように微笑まれ、黎花は視線を逸らすように生温い液体を一口だけ口に含んだ。
 -----戸惑う気持ちはあるけれど、嫌だというわけじゃない。寧ろコムイの提案は、自分はもうこの場所と全く関係の無いところへ行くのだと落ち込んでいた黎花の気持ちを浮上させた。
 乾いていた咽喉を潤すと、胸の辺りに詰まっていた何かがするりと一緒に流れる。
「コムイ室長」
 ここを離れることはやっぱり寂しい。
 だけど、迷う必要は無い。
 これから目指すところは座長の信念に完璧に沿うものでは無くても、これは黎花自身が決めた、黎花なりの信念だ。
「この話、お受けします」
 














 * * * * *















 -----12月24日、聖夜。
 毎年決まってパーティー会場になる食堂は、年に数回しかないイベントの中でも格別の賑やかさだった。
 手の空いている団員はとにかく楽しむことを優先し、常にフル稼働状態の科学班は数時間交代制で顔を出しに来る。同じくフル稼働のコックたちは調理場から出ることは出来ないながらも、注文を受けるカウンターから見える光景に満足そうに笑っていた。
「毎年あるの? このパーティー」
「えぇ、兄さんが室長になってからは毎年恒例の行事なの。明日のクリスマスはアレン君の誕生日っていうこともあって、二夜連続のお祭り騒ぎというわけ」
 出入り口に近い壁際の席で話しながら、隣に座るリナリーに問い掛けた黎花は「へぇ」と食堂を見渡した。
 「今夜は無礼講だ」と誰もが口にするが、非常事態はいつ起こるか分からないので、団員たちが手にしているのは度数の低いアルコールばかりだ。まだ幼い黎花は当然ジュースを飲んでいるが、とっくに成人しているリナリーもノンアルコールカクテルにしか手を付けていない。改めて大変な『職場』なのだと感心していると、人混みを掻き分けるようにしてよく見知った人物が姿を現した。
「お、こんなところにいたんさ?」
「あらラビ、いつの間に帰ってたの?」
「ついさっき。今報告書出してきたとこさ」
 人好きのする笑顔を浮かべてやってきた同僚に空いた席を指差し、リナリーは「ご苦労様」と労わりの言葉を掛ける。
 軽く礼を言ったラビは通り掛かったウェイター役になりきっている探索部隊の一人に飲み物を頼み、腰を下ろすと同時に「残念だったな」と零した。
「家族、見付からなかったんだって?」
「えぇ。でも最初から期待していなかったから、あんまりショックじゃないの」
 暗い顔を見せたラビとは逆に、当の黎花はけろりした顔で言ってのけた。
 名前と容姿だけで判断するならコムイやリナリーと同じ東の国の出身かもと思われたが、ジプシーに拾われた黎花の名前を付けたのは、黎花を拾った座長だった。『白』というファミリーネームは座長のものであり、それは家族同然のジプシーたち全員が名乗っていたものだ。
 せめてどこの国で拾われたのかが判れば可能性はあったかも知れないが、今回ばかりは科学班の力を持ってしても解決には至らなかった。
「そっか……でも、寂しくなるな」
 明日でこの本部を去ることもコムイから聞いたらしく、黎花は微苦笑で頷いた。
 出て行った後のことは、まだ誰にも話していない。一番大事な友達にも明日で別れることは告げたものの、詳しいことはまだ何も話せていなかった。
「そういや、アレンは?」
 ウェイターが運んできたノンアルコールのビールを飲みながら、ラビがふと思い出したようにその名を口にする。
 きょろきょろと辺りを見回すラビに、「アレン君なら開催の言葉と同時に食べ物に向かって行ったわ」と可笑しそうにリナリーが答えたとき、丁度大皿にデザートを乗せたアレンが戻ってきた。
「もうデザートさ? アレン」
「あ、ラビ!! おかえりなさい」
 ただいま、と言いながら三十種類近く甘味類が盛られた皿を取り上げ、テーブルの上に置く。ありがとう、と満面の笑みでお礼を言い、アレンは五本ほど用意していたフォークを皆が好きに使ってくれるよう皿の脇に置いた。
 アレンが一人で食べるものだと思っていたラビとリナリーはちらりと視線を交わし、次いでふっと口許を緩めた。適当に持ってきたのか、それとも五人目のことまで考えて持ってきたのか。どちらにしても、ここに居ない甘い物嫌いな同僚は、絶対にこの色鮮やかな食べ物には手を出さないだろう。
 あの男がこの教団で口にする甘い物と言えば、年に一度、アレンが彼の為に必死に作るバースデーケーキをワンカットだけだ。
「あー、この辺とか『アレンが作った』って言ったら食うかもよ?」
「バレたときは後が怖いわよ? 私は楽しく見てるけど」
 にっこりと微笑んだリナリーと頬を引き攣らせるラビを横目に見ていた黎花は、「そういえば」とケーキを頬張りだしたアレンに向き直った。
「ねぇアレン、神田は来ないの?」
「へ? あぁ、神田ならコムイさんに呼ばれてました。コムイさんは任務じゃないって言ってたけど……」
「ふぅん?」
 美味しそうに食べるアレンに触発され、黎花もシロップ漬けの苺が乗ったケーキに手を伸ばす。ふわふわのスポンジにたっぷりの生クリームを使ったそれは今までに食べたどんなケーキよりも美味しくて、こんな素晴らしい物がもう食べられなくなると思うと、寂しさとは違う意味で気が滅入った。
 フォークを握り締めたまましばらくぼんやりしていると、ふと視線を感じて顔を上げる。向かいに座っていたアレンはいつの間にか食べる手を止め、何故か口許に笑みを浮かべて黎花を見詰めていた。
「どうかした?」
「いえ、何も。ただ、黎花が神田のことちゃんと名前で呼んでくれて嬉しいなぁ、って」
「……別に、仲良くなったってわけじゃないわよ?」
「分かってます。だけど……別れる前に誤解が解けただけでも、本当に良かった」
 その心からの言葉に、黎花は言葉に詰まった。


 あの日の翌日、黎花はアレンに会いに行き、盗み聞きのような真似をしたことを頭を下げて謝った。
 突然の謝罪に初めは意味が分かっていなかったアレンも、きちんと順を追って話すと「そうだったんですか」と笑顔で許してくれた。その代わりとばかりに寒い廊下に長い間居たことは怒られてしまったが、最悪の場合は絶交も有り得ると覚悟してので、自分の心配をしてくれてのお説教はいっそ嬉しくもあった。
(そっか……じゃあ神田のことまで聞いてた?)
 少し遠慮がちに訊ねられた言葉に、きゅっと唇を噛んで頷いた。
 無理矢理連れて来られたことは事実でも、そこには確かな理由があった。
 失くした存在の大きさは、何ものにも代えがたい。けれどここへ来たことで得た物は、自分の人生にとってかけがえの無いものばかりだ。
 一晩経っても神田への感謝の気持ちは消えたりしなかったし、それに神田が連れて来てくれなければ、アレンと出会うことも無かった。
 世界中に数多く存在するジプシーたちには、それぞれ規律や信念のようなものがある。その中で全てに共通して言えることは、「出会いを大切にすること」だった。
 通り過ぎるだけの町も、荒野で擦れ違った旅の商人も、いつも一緒に居た仲間の笑顔も、どれも永遠じゃない。人が「懐かしい」と口にするのは、懐かしいと感じた日々に二度と出会えないことを知っているから。そこにはいつだって、何気無く過ごしてきた還らない日々を惜しむ気持ちがある。
 あの時、あぁしていれば良かった。もっと何かをしてあげれば良かった。
 そんな思いを残さないようにする為にも、黎花の居たジプシーは感謝の気持ちを形にして残そうとしなかったのだ。
(一応、お礼は言ったけど……凄く嫌な態度とってきちゃったし、向こうはまだ怒ってるかも)
(心配ないですよ。神田なら、絶対大丈夫です)
 一体どこにそんな確証があるのか、きっぱりと言い切ったアレンの顔は自信に満ちていた。

 その後は見付からなかった家族のことや、二十五日でこの教団を去ることが決まったことも告げた。
 当然、去った後はどこへ行くんですか? と訊かれたが、黎花が戸惑いながら「まだ言えない」と言うと、行く場所が決まっているなら良いんです、とだけ淡く笑って、それ以上はアレンも口を閉ざした。
 その翌日にはアレンの体調も良くなり、次の日には降り積もった雪で約束どおり遊んだ。
 雪で作れる物は何でも作り、本に書かれている遊び方を参考に、手の空いていた団員を巻き込んで『雪合戦』もした。
 -----期限が決まると、二十四時間ある一日がとても短く感じた。
 そして別れの前夜は、「もう少しだけ」と願う子供たちの願いを聞き入れる事無く、当たり前のようにやってきた。


 『行くところが決まっているなら良いんです』と言ったアレンの優しさに甘えて、黎花は今日まで誰にも自分の決意を話さなかった。
 もしかすると、怖気づいていたのかも知れない。誰かに伝えることで、覚悟した現実が一気に目の前に迫ってくることが怖くて、先延ばしにしていたのだろう。
 だけどもう、時間は無い。アレンだって本当は、自分がどこへ行くのかずっと心配してくれていたのだから。
「アレン、あのね-----っ」
「おっ、ユウめっけ!!」
 意を決して告げようとした瞬間、斜め前から発せられた大声にビクッと肩が跳ねる。
 せっかく自分の中から掻き集めた勇気が心無いラビの一言で台無しになり、やり場の無い怒りと悔しさが小さな拳を震わせた。
「あれ、コムイもいるさ。……なんか深刻な話してるさ?」
 不思議そうな声に、テーブルを囲んでいた他の三人もラビの視線を追って出入り口の方を見る。
 そこには確かに二人の姿があり、「深刻」と表された言葉通り、どちらとも場の空気には似合わない表情で何かを話していた。
「どうしたんだろう……」
 アレンが心配そうに呟いたとほぼ同時に、コムイは神田をその場へ残して一人食堂の中央へと歩いていく。
 拡声機を持って騒いでいた団員に声を掛けてそれを受け取り、数回のマイクテストの後、『二つお知らせがあるから注目ー!!』と会場の注意を引き付けた。
『まず一つ目。もう知ってる人も居ると思うんだけど、白・黎花君が明日でこの本部を去ることになりました。僕たちの方で家族や親戚も探してみたんだけど、残念ながら見付からなくてね……。そこで提案した件に黎花君からも了承を得たので、僭越ながら僕の方からお知らせします』
 良いかな? と離れた場所から目顔で訊かれ、どうせたった今言うつもりだったし、と開き直った黎花は手を振って応えた。
『実は彼女がここに来たとき、一つテストをしていたんだ。その結果があまりにも良かったものだから、立場上どうしても勧誘したくなってね〜』
「室長ー、要点だけ言って下さいよ〜」
「それとも要点だけ忘れちゃったとか?」
 どっ、と会場から笑いが起こり、コムイは発言した部下たちをキッと睨み付ける。
 だが、普段なら即座に言い返す筈の上司が数秒後には余裕の笑みを浮かべ、部下たちは顔を見合わせて首を傾げた。
『ふふんっ、そういうこと言って良いのかなぁ君たち。黎花君が受けたテストは君たちも受けたことのある科学班専用の入団テスト……彼女は事実上、至上最年少で科学班に入ることになったんだよ!!』
「はぁぁああ!?」
「あのテストに合格!? アレンと歳の変わらない女の子が!?」
『ただ残念なことに、今は本部よりも支部の方が人手が足りなくってね。白・黎花君は明日からアジア支部に配属されることになる。……言っておくけど、支部の人手が足りていれば黎花君には本部で働いてもらいたいくらいなんだからね?』
 含みのある言い方をしたコムイの言葉に、ついさっきまで陽気に騒いでいた科学班員の顔が見る見る青くなっていく。
 部下たちの表情が模範解答に至ったことを知り、コムイは実に満足そうに微笑んだ。
 つまり、「うかうかして十二歳の女の子に下克上されても知らないぞ」というわけだ。
「役に立てるなら、働く場所はどこでも……って、言ったつもりだったんだけど……」
 遠くから騒ぎの中心を見ていた黎花は遠慮がちに声を上げたが、考えてみれば本部で働けるということはアレンたちと別れなくて済むし、この世界一美味しい料理を毎日でも食べられるということだ。
 物につられて考えを変えることは意地汚いが、コムイの言葉から推測するに、アジア支部の人手不足が解消されればまたここへ戻って来られる可能性はある。
 その日を夢見ていれば、このどうしようもない寂しさも少しは和らぐ気がした。
「黎花っ、そうと決まっていたなら教えてくれれば良かったのに!!」
 驚きのあまり声も出せなかったらしいアレンがようやく我に返り、テーブルに身を乗り出して声を上げる。
「うん……色んな人にお世話になったから、何かお返しをしたいってずっと思ってたの。だけど感謝の気持ちを形に残すことはしたくなかったから……でも、こんなことでお礼になるか不安で……」
 言い出せなかったの、と顔色を窺いながら謝ると、アレンは「嬉しいです」と首を振った。
「僕、神田にも言ってきますね」
「聞こえてたと思うわよ?」
「うん」
 嬉しそうに笑って駆けて行くアレンは、きっと先程コムイと話していたときの神田のことがずっと気になっていたのだろう。
 人混みを掻き分けて進むのは大変そうだったが、大人たちに比べればはるかに小さいアレンはすぐに見えなくなった。
「でもまぁ、これで本当に教団の一員なわけだし。職場は違うけど、これからもよろしくな、黎花」
「アジア支部もここに負けないくらい賑やかなところよ。寂しくなるけど、頑張ってね?」
「えぇ、ありがとう。二人とも元気でね?」
 ラビとリナリーから温かい言葉を掛けられ、黎花ははにかむように笑った。
『あ、それから二つ目!! 実はアジア支部はエクソシストの数も厳しいらしくて、支部長のバクちゃんから応援要請を受けたんだ。そこで黎花君の護衛も兼ねて、今回この本部から一人、エクソシストがアジア支部に移籍することになった』
「護衛……?」
 話を聞かされていなかった黎花は眉を寄せ、傍に居たエクソシスト二名も顔を見合わせて首を傾げた。
 この二人が話を聞かされていないということは、移籍するのは一体誰なのだろう?
 ざわざわと囁き合う団員たちの声に紛れて、どこかで嬉しそうにはしゃぐアレンの声が聞こえた。その瞬間、黎花は「まさか」と息を呑んだ。
 どうしてコムイと神田があんな深刻な顔で話していたのか、今なら分かる。だけど本当は分かりたくなかった。だってそれは、とても残酷なことだったから。

『-----ティエドール部隊所属、神田ユウ』

 囁き合っていた声がどよめきに変わった瞬間、ラビとリナリーが椅子を蹴って立ち上がった。
 二人の瞳には色んな感情が宿っていて、それは驚きや戸惑いだったり、焦りのようにも見えた。
『彼は明日付けでアジア支部に移籍する。以上』
 拡声機を持ち主に返したコムイが出入り口に向かって歩き出し、リナリーがその後を追い掛けるように会場から姿を消す。
 立ち尽くしていたラビは眼帯に隠れていない左目を細め、静かな怒りを滲ませて名を呼ばれた同僚を見詰めていた。


(雪、降ってた……)


 哀しみに覆われた声が、ふと真新しい記憶の箱から溢れ出す。
 黎花はただ、この建物の外に冷たい雪が降っていないことだけを、心から願った。















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意図せず本文と同じ24日に更新と相成りました。
残すところ後一話。皆様に少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。

07/12/24 canon





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