07  異心伝信

雲に見え隠れする月明かりが白銀の世界を幻想的に照らす。 満月に近い月の光は空気中の物質と混ざり合い、白い光の道を天高い場所から地上へと伸ばしていた。 そんな美しい光景が目の前に広がっているというのに、ジールの目には何も映らず、 ただ劣情の色でこの銀世界が染まってしまうのでは無いかと言うほど己の内側を闇の色へと浸している。 アレンの耐え難い殺気に当てられて神田の前で無様にも醜態を晒した事、そしてあの場から逃げ出した事。 思い返すだけで視界が真っ赤になりそうなくらい、ジールは激しい怒りの中にいた。 ジールが神田と初めて会ったのは、1年前では無い。 心から敬愛し、その感情がいつの間にか恋情へと変わったのは神田がアレンと出会うよりずっと昔の事だった。 もう何年も、何年も前。神田が極東の国からヴァチカンへ来たその日から、ジールは神田に想いを寄せていた。 当時ジールはエクソシストでは無かったが、神田と共に闘いたいと思って日々鍛錬を積み重ね、神田の力になりたいと 思って強くなる事を望む毎日を送っていた。 自分の存在に気付かれなくとも、いつかは本部で会う事が叶うだろう、と。毎夜夢に見た。 けれど『あの日』は無情にも訪れ、それは長年神田を想って生きてきたジールにとって絶望を目の前に突き出さ れたかのような日だった。 1年と少し前の晩、世界は今日と同じように淡い光と月の導きに照らされていた。 雪の中での戦闘は足下が悪く、不安定な事が多い。いかなる場所でも適応出来るようにと、ジールはその晩も鍛錬をしていた。 木々の枝に積もった雪に足を取られながら跳躍し、雪の深くなっていない地上を見極めて着地してはまた跳躍する。 普通、自分からエクソシストになりたいと志願する者は少ない。 仮に自分から志願したとしても鍛錬などはエクソシストになり師を決めてから徐々に行っていくもので、ジールのように エクソシストとして認められない者が鍛錬の日々を明かすのは稀だった。 その理由は、ジールが適合者でありながらも一般の新人よりシンクロ率が低かった為だ。 ある程度の規定値に達していなければ、エクソシストと言っても戦地においては足手纏いにしかならない。 それでは神田の役に立つどころか下手をすれば生命の危機に晒してしまう。 故に、ジールは毎日毎日、それは時間にすれば気が遠くなるほど長い間、日夜鍛錬を欠かさずに今日までやってきた。 何時間も激しい運動を繰り返した身体を休ませる為に一本の太い枝の上で一息吐き、積もっている雪を払って腰を下ろす。 木々の合間から漏れる光に目を細めていると、一つの気配が近付いてきた。 それはよく知った者の気配で、警戒心を抱く事無くジールは木から飛び降りる。 「こんばんは」 「久しぶりだな、ジール」 初老の男に笑顔を向け、ジールは畏まって腰を折った。 老人は目許を和らげると、久しぶりに会った少年に顔を上げるように促す。 わざわざ雪の中を歩いてきてまで言いたい事でもあるのか、老人はジールへ向ける笑顔を曇らせて小さな溜息を吐いた。 「どうかなさいましたか?」 老人は答えず。未だ何かを思案する。その様子を急かすことなく、ジールは相手の言葉を待った。 「今日・・・・・・神田ユウがここへ来た」 「!!?」 聞かされていなかった事実に目を見開き、次いで何故教えてくれなかったのかと非難の眼差しを向ける。 真っ直ぐな蒼い瞳を見据えて、老人は数回目の溜息を吐く。 「彼は一人で来たのではない。半年前に本部に入団した・・・アレン・ウォーカーという少年とヴァチカンを訪れた」 「・・・AKUMAから呪いを受けたエクソシストっていうあのアレン・ウォーカーですか?どうしてそんな奴が神田さんと?」 ヴァチカンにはもちろん、呪いを受けたエクソシストの事はおそらく教団の支部にまで行き届いている話だろう。 ジールも聞き及んではいたが、その人物と神田に何の関係があるのか解らず、訝しげに眉を顰める。 「神田ユウとアレン・ウォーカーは最高議会の名の元に呼ばれ、尋問を受け、我々はその答えを聞いた」 「尋問?」 「二人が恋仲にあるという噂が事実か、そうでないか」 神田がここへ訪れた事を知ったとき以上の驚愕、同時に襲った絶望感に、ジールはその場に膝を折った。 口許を片手で覆い、蒼い瞳は開かれたまま閉じる事が叶わない。 長年想ってきた神田が自分の知らない場所で、自分の知らない人物のものになる。 神田自身がジールの所有物であるはずがないが、ジールにとってはそれに等しい存在だった。 これまでの努力や葛藤の全てが一瞬にして底なしの闇へと放り投げられる。 「答え、は・・・?」 「恋人だと、言っていた」 嘘だ、そう叫ぶ前に、大きな瞳から涙が零れた。 たった半年の間に彼に何があったというのか。他人を拒絶し、自分の力だけを信じて生きていた神田ユウという孤高の存在に。 神田の昔馴染みのエクソシストすら座る事はなかった空席を、何の努力も無しに手に入れた者。 彼を変えたのは間違いなく『アレン・ウォーカー』である事実が、ジールには堪らなく悔しかった。 「今夜はその事と、もう一つ伝える為に来た」 声色が、変わる。 その声を恐れるように、あらゆる音が雪に吸い込まれていき、辺りには一つの雑音も無くなった。 「ジール・クライズ、君に本部への配属が決まった。今日から半年後、君は正式に黒の教団本部所属のエクソシストだ」 「僕が・・・本部へ?」 顔を上げれば笑みを浮かべる老人が目に映り、ジールはその胸元に縋るように抱き付いた。 「あ、ありがとうございます!!僕っ、頑張ります!!頑張って、一つでも多くのAKUMAを葬って・・・!!!!」 「あぁ、期待しているよ。ジール」 「はいっ・・・はい!議長!!」 歓喜を表す大輪の花が咲き誇ったような笑顔、だが月明かりに照らされない笑顔の裏側には、仄暗い欲望が溢れていた。 (AKUMAに呪われたエクソシストなんかを・・・神田さんが選ぶ筈がない) 口の端を吊り上げ、蒼瞳を不穏の色に光らせる。 その様子を、議長はただ黙って微笑んでいた。 我が子のように育ててきた少年へ、我が子を見つめるものとは違う眼差しの笑みを―――――――。 「選ぶ筈が、無いんだ・・・・・・」 爪が食い込むほど掌を握り締め、石造りの壁を殴り付ける。それを数回繰り返したジールの手の甲は少量の血で滲んでいた。 窓際の壁に背を預け、どうにか冷静になろうと努める。 (奴自身を痛め付けるだけじゃ駄目なんだ・・・アレン・ウォーカーの過去を抉るだけじゃ・・・・・・) アレンの過去は、正式にエクソシストとして任命され、本部へと配属される半年の間にヴァチカンで調べ上げた。 それらはもちろん極秘経路で入手した話だが、覚悟していたよりはかなり迅速に事が進んだ。 本部の室長であるコムイがアレンの入団当初、ヴァチカンからの要請でティムキャンピーに内蔵されていたアレンの過去の 映像記録を送っていたので、探るのは大して面倒な事でも無かったのだ。 だが、ここはヴァチカンではなく教団の本部。紙切れやハッカーなど必要無く、周りの人間から聞き出せば事は済む。 アレンの傍にいて、アレンを識る者、それは一番近い場所にいる神田では駄目だ。 「もう少し探るか・・・」 しばらく考え込んだ末に、ジールは自室を後にした。 「リナリーさん、ありがとうございました」 「ううん、良いの。また聞きたい事があったら遠慮無く言ってね?」 丁寧に頭を下げるジールを笑顔で見送り、リナリーは自室の扉を閉めて小さく息を吐くと、口端をキュッと吊り上げた。 今日の朝、アレンが吹雪の中で気を失ってしまったという話はラビから聞いていた。 ラビは神田から聞いたらしく、その詳細は確実にジールの策略の一つだったとも容易に知れた。 アレンが雪を好まない事を知っていながら、後ろからゆっくり歩いてくるアレンを気にする神田を強引に彼から引き離した。 ズンズンと歩いていくジールは不意に空を見上げ、口許に笑みを浮かべたらしい。 おそらくは、風や天候によってすぐに吹雪になると予測していたのだろう。随分と計画的な事だ。 「入団して1年か・・・」 今でこそジールの笑顔はその顔に馴染んだが、入団当初は酷かった。 本人は笑っているつもりなのだろうが、明らかにアレンを敵対視し、見方によれば殺意すら抱いているように見えた。 1時間ほど前にこの部屋を訪れたジールは『話がしたいんです』、と言い、リナリーは二つ返事で了承した。 話のほとんどが雑談や当たり障りの無い世間話。そして不自然にならない程度のアレンへの詮索。 禁句とされるような事は口に出さずに、尋ねるのはただの好奇心だとでも言うように。 小さな子供が友達を出し抜こうとするかのような瞳の輝きに、リナリーは苦笑を押さえるのに大分苦労した。 思い出しながらまた笑っていると、常人には聞き取れないほどの足音が扉を隔てた廊下で止まる。 消音という高等技術は教団の中でもほんの数人しか使えないのだから、扉の前にいるのが誰かなど容易に判る事で。 「神田?ラビ?アレン君?」 とりあえず、候補者の名前を呼んでみる。 カチャリと音を立てて開かれたそこには、いつもはバンダナで上げている筈の髪を下ろした青年がいた。 「こんばんは、お嬢さん。お話しませんか?」 ニカッと笑ったラビは持っていた紙袋を差し出し、それを受け取ったリナリーはクスリと笑って手早く二人分の紅茶を注いだ。 ソファに腰掛けたラビの前に彼の手土産である菓子と紅茶を置いたリナリーが向かい側に座ると同時に、ラビは口を開いた。 「俺のパートナー、お前になったからさ。報告」 熱い紅茶を嚥下するラビに、リナリーはただ『ふぅん』とだけ返す。 リナリーとラビには意外と共通する部分があって、それは例えば、物事の判断基準だったりする。 互いに『別に自分のパートナーは誰であっても構わない』と思っているからこそ、リアクションが物凄く薄いだけの話だ。 希望も無ければ、アイツだけは絶対に嫌だという人物もいない。 「それだけじゃ無いでしょう?話に来たコト」 「んー、まぁ・・・」 言葉を濁すラビをキッと睨み、言いたい事があるなら早く言いなさいよと目だけで伝える。 苦笑を洩らしながらも、ラビの目からは自然な笑顔が消え、一瞬後には探るようなものへとなった。 何というか、寂しげに。 「アレンよりジール気に入っちゃった?それとも、ジールに昔のアレン重ねてるさ?」 ラビの言葉に、リナリーは大きな黒い目をパチパチと瞬かせる。 言葉の意味を反芻するような沈黙が続いた後、リナリーは堪えきれなくなったように吹き出した。 しばらく声を上げて笑い、時間が経ってもその余韻が後を引いてクスクスと笑みが零れる。 「そんなわけないでしょ?馬鹿ねー、ラビ」 軽く悪態を吐かれ、ラビは肩を竦めて再び自然な笑みを返した。 行儀悪くもテーブルを乗り越え、リナリーの隣にどかりと腰を下ろす。 「昔はもっと可愛げがあったのになぁ・・・俺やユウの後ついて回ってさぁ〜」 「女の子は日々成長していくものなのよ?」 悪戯っ子のように笑うリナリーの頭を、ラビはクシャクシャと撫でる。 昔は習慣付いていた筈のその行為は、いつの間にか無くなっていった。 「でも私、小さい頃は自分よりも年下の遊び相手が欲しかったの。だからアレン君が来てくれたときは本当に嬉しかったわ」 「弟が出来たみたいで?」 「そう。一歳しか違わないから友達みたいなノリだけど・・・大事な家族」 誇らしげに言うリナリーに返す言葉も無く、ラビもふわりと笑って頷いた。 共通点は、こうして考えてみると多いのかも知れない。アレンを大切な家族であり、弟のように思っている二人。 誰に対しても興味を抱かなかった神田と、誰に対しても猜疑心を崩さなかったアレン。 神田とアレンは独りずつでは不安定だったけれど、今は違う。誰にも明かせなかった辛い過去を、今の彼等は分かち合える。 二人の恋仲を誰よりも祝福したのはラビとリナリーだった。 エクソシストという危険な仕事柄でも、あの二人は幸せの中にいれば良いのだと、ラビとリナリーは互いに口にせず思い、 それは相手も考えている事だろうと知っていた。 恋愛や友愛とは違う。言葉にするには曖昧だけれど、言うなれば家族としての信頼や絆。 「ねぇ、大事な弟の心の平安を護るのは年長者の勤めだと思わない?ラビ・・・―――――お兄ちゃん?」 馴染んでいた筈の呼称は、今の自分たちの年齢にはどうにも照れ臭い響きだった。 笑みを交わした二人の瞳には、揺るぎない意志が浮かぶ。   back  next
ラビリナの意識はありませんです。 私的に、ほんわかなお兄ちゃんとお姉ちゃん、もしく上のような2人だと嬉しいなぁ。 っと思っています。感情的になりやすい小さい弟と、大きい弟を持つ2人(笑) 企画とは違ってリナ姉が怖い・・・。 canon 06 01 17 tue
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