06:学習能力
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見慣れた天井を見つめたまま、アレンは小さく嘆息した。
部屋の隅にある気配に今の今まで気付かず眠っていた自分に内心で舌打ちし、腕を組んで壁に寄り掛かっている
人物へと視線を這わす。
「何か用ですか?」
「お見舞いっていうか、看病っていうか・・・そんなとこです」
普段とは違う癖の無い喋り方にアレンは眉を顰めたが、初めから演技臭いと思っていたので特に気にしなかった。
しばらくするうちにハッキリと覚醒し、アレンはまだ少しだるい身体を起こす。
「普通の喋り方も出来るんですね。良いんですか?演技だとバレれば動きにくくなりますよ?」
笑顔で言うと、ジールは片眉を上げて先輩であるアレンに皮肉気な笑みを浮かべる。その目には敬意も礼儀も無く、
この表情を神田に向ければ一瞬で六幻の錆となるだろうと思いながら、それでもアレンは笑みを崩さなかった。
「やっぱり雪、嫌いだったんですね」
外へ出掛ける前に見た、あの時の表情の変化の違和感。
どこから仕入れた情報かは知らないが、アレンが雪を好まない事実を知っているのはこの世界にほんの数人しかいない。
数年生活を共にした師、心を許している恋人、信頼出来る友人と上司。
アレンのウィークポイントとも言えるその事を知る者達、彼等が情報を漏らす事など考えられず、アレンは短時間で
一つの結論を出す。
(大元帥たちよりも上の人間・・・か)
下の者のプライバシーなど何処吹く風。
アレンの記憶力は良い方だが、1年と半年前の顔ぶれを思い出すには少しだけ時間が掛かった。
というより、あの面倒な話し合いが終わった瞬間からアレンは彼等の言葉などまるで忘れてしまったかのように
日々を送っていた。
今でも思い出せたのは、自分と神田が寄り添う光景に顔面を蒼白にしたり紅潮させたりと忙しい馬鹿面だけ。
ヒステリックに叫んでいた煩い人間より、あの場で愛する恋人が誓ってくれた言葉の方が、アレンの眼裏には鮮明に
残っている。
誓いの口付けを思い出しながら、「とりあえず面倒な事になったな」とどうでも良いようにぼやくアレンの姿にジールは
何を思ったのか、突然クツクツと肩を震わせ、最後にはハッと笑い飛ばした。
無論、その対象は他ならぬアレンだ。
「あなたみたいな人が神田さんのパートナーだなんて・・・大元帥たちは一体何を考えているんだか・・・・・・」
僕こそが相応しいのに・・・、と。ジールは幼い子供のように唇を尖らせる。
「まぁ、イイヤ。神田さん、最近僕の事可愛がってくれてるし、時間の問題ですよね?」
勝ち誇ったような笑みに対し、アレンは至極艶やかに微笑んでみせる。
この美しい笑みに惑わせられない者がこの世界に存在するだろうか。
心が沈んだ時に見れば人の心はたちまち躍るのだろう、クラウンの微笑。その仮面の下に隠された昏い嘲笑。
「神田は君を選ばない」
小さく呟いただけの声音は、シンと静まり返っていた部屋に大きく、そしてハッキリと響いた。
ジールはすぐに何か言い返そうとしたが言葉という音が生まれる事はなく、ただ何度か口を開閉するだけに終わる。
アレンは目覚めてからずっとベッドの上に座ったままだというのに、喉に鋭利な刃物を押し当てられたかのような錯覚。
今声を出せば、押し当てられた刃は喉に這う血管を裂く。・・・・・・そう感じる程の殺気。
(こんな殺気・・・知らない・・・・・・)
生きてきた中で、ジールはこれほどの殺気を浴びせられた事は無い。息をする事すら辛い、張り詰めた空間。
幾度も戦地を駆け、数え切れない数のAKUMAと対峙した時でさえ、こんな殺気を感じた事は無かった。
それは、ジールが持っている絶対的な自信からくるもの。
自分の力量を信じていたからこそ、どんな恐怖も乗り越えた。
今回だって、神田はアレンよりも自分を選ぶと、何の確証も無しに信じていた。
誰よりも何よりも、例え時間が掛かっても。
その事が驕りであると、今も尚ジールは気付かない。
長年に渡って培ってきた自信が泥で作られた舟のように沼底へ沈む。水面は乱れる事無く、ただ静かに。
(逃げたい・・・ここから出たい・・・・・・)
立っているだけでやっとのジールの背には冷や汗がじっとりと滲み、顔面は蒼白になりつつある。
アレンはその様子に目を細め、不意に扉の向こう側に感じた気配に殺気を消す。途端、ジールは床に片膝を着いて俯いた。
まるで糸の切れた操り人形のようなその動きに、アレンは心の中で『カシャンッ』と効果音を呟く。
――――――――・・・カチャ・・・リ・・・・・・
声を掛ける事もノックが鳴る事もなく、廊下へと続く扉が開く。
艶やかな黒髪を銀色と黒のストライプのリボンタイで高く結い上げた神田は、アレンが起きていることに気付くと心配と
安堵が綯い交ぜになったような表情を浮かべた。
その漆黒に柔らかな笑みで返し、大丈夫だと唇の動きだけで伝える。
無理をしていない笑顔に少しだけ息を吐き、今まで視界に入っていなかったのか、気付いていて無視をしていたのか、
足下に片膝を着いて蹲るジールを冷ややかな目で見下ろした。
「ジール、どうかしたのか?」
声音は常通りなのに視線はこの上無く冷ややか。その差の大きい事に、アレンは声に出さずクスクスと笑う。
「い、え・・・何でも・・・ありません・・・・・・」
愛しの『神田さん』がいるというのに、ジールの声は酷く掠れ、震えていた。
ガクガクと力の入りきらない足で立ち上がり、顔も上げずに神田の脇を抜けて部屋を出ていってしまう。
アレンは少年の背を見送ると同時に軽く溜息を吐き、トサッ、と再び柔らかなベッドの中へ埋もれる。
深く息を吐き出すアレンに心配の眼差しを送りながら、神田は傍らに置いてあった椅子に腰掛けてアレンの髪を優しく梳いた。
「久しぶりです・・・こんなに疲れたの」
「廊下にまで殺気が流出していた」
苦笑混じりに言われ、失礼しましたと笑って返す。
「元帥クラスのエクソシストに喧嘩吹っ掛けたか・・・馬鹿だな、アイツ」
ジールがアレンの殺気を感じ、その圧倒的な恐怖に身を竦ませるのは仕方の無い事だった。
たった1年の差とはいえ、それは二人を比較するに十分な時間。元々、当初のシンクロ率だってアレンの方が高く、
ジールは人並み程度のもの。元の基盤が違うのだから、ジールがアレンを出し抜くと言うのならアレンの数倍もの
鍛錬をしなければならない。・・・どうあっても、勝ち目など初めから無いのだ。
エクソシストとしても、一人の人間としても。
「師匠達には僕が元帥の候補に上がっていた事口止めしておきましたから、仕方無いですよ」
心から皮肉気に言う神田に微笑んでゆっくりと起きあがり、ベッドを降りて彼の首に細い両腕を回す。
ゆるやかな動作で、神田もアレンの腰に両腕を回して抱き締めた。
「怖かった」
雪の中に、君を失ってしまうかと思った。
か細い声で言うアレンの身体は細かく震え、神田は未だに冷え切った身体をきつく抱き寄せる。
ジールが外に出ようと言ったとき、普段ならば彼がアレンを誘うことなど有り得なかった。
今回に限っての例外は、おそらくアレンの弱点とも関係性があるのだろう・・・。
何処から漏れた情報か、誰かが無理に探り出した情報か。
「調べる必要があるな・・・」
ジールの情報源を辿れば、自ずと暗躍も出てくる筈。
さてそれは誰が適任だろうかとぼんやり考え、妥当な男がたった一人だけ思い付く。
この本部の総指揮者は妹同様にアレンを可愛がっているのだから、多少の危険は省みないだろう。
フッと口許を歪めて今し方思い付いた企みを意識の端に追い遣り、神田は雪色の髪を梳きながら問う。
「そういえば、何を話していた?」
留まる事を知らず廊下にまで流れ出していた殺気。余程の事が無い限り、アレンがあのような感情を人に向ける事は無い。
それは日常生活に支障をきたさない為でもあるが、アレンは基本的に透明なクラウンの仮面を着けている。
その仮面をアレンが自ら外した事に、神田の中には小さな興味と好奇心が芽生えていた。
自分以外に、この愛しい者の仮面を剥がす人間などいたのか、と。
「あの子が馬鹿な事言ったりするから、ちょっと虐めただけです」
いつの間に起きたのか、パタパタと頭上を飛び回るティムキャンピーを掌に導き、アレンはその羽根を優しく撫でる。
ジール・クライズは愚かな事に、ティムキャンピーの存在に気付かなかった。
優秀な主人思いのゴーレムは羽根を広げて飛び回り、主人の役に立った事をクルクルと宙を旋回する事で知らせる。
「ありがとう」
褒められた事に気を良くしたのか、ティムキャンピーは嬉しそうに羽根を動かした。
「アレン」
不意に名を呼ばれて上を向けば、唇に数日ぶりの感触が落ちる。
雪の中でした触れるだけのキスや何かを隔ててのキスじゃない、互いの口腔を激しく犯すような口付け。
「んっ、ふ・・・ぁ、かんっ・・・・・・」
久しぶりの深いキスに、アレンは夢中になって縋り付く。その媚態に神田は目を細め、望むままに熱を与えた。
歯列をなぞり、積極的に絡めてくる舌を自らのもので絡め取って軽く吸う。
甘い吐息の漏れる唇を名残惜しげに離すと、銀糸が艶めかしく光った。
「ね・・・ダメ?」
熱に潤む目尻に唇を押し付け、今にもこぼれ落ちそうな滴を舌で舐め取る。
神田とて今すぐアレンの肌に触れたかったが、どうにかその欲情を内側に抑え込んでもう一度唇に触れた。
もどかしく思いながらも、アレンは神田を困らせたりはしたくない。
「全部終わったら、いっぱいシテ下さいね?」
誘うように言うアレンは神田の首筋に顔を埋め、チュッと軽く吸って跡を付けた。
団服の襟に隠れる場所に赤く咲いた華を指でなぞれば、神田はアレンの首筋にも同様の華を生む。
一カ所に付けたアレンとは違い、神田は項や鎖骨の辺りにも所有の証を色濃く残した。
「神田、気付いてるでしょう?ジールの後ろにいる人達」
「確証が無い。・・・・・・それが掴めれば、すぐにでも抱いてやる」
そう先の長い話では無い。
裏を取るのに多少の時間は掛かっても、それからはジールが勝手に潰れるように操作すれば良いだけの話だ。
例え相手が誰であっても、喧嘩を売った相手が神田では分が悪い。
(アレンを傷付ける事は許さないと・・・あの時確かに言った筈なんだがな・・・・・・)
震えるアレンを抱き締めていたとき、神田の奥底には沸々と昏い感情が湧いていた。
これ以上アレンに害を為すようであれば手段は選んでられねぇな、と、神田は口許を緩く吊り上げた。
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・・・・・・・・・・・・・・・ゲロ甘。どうしたら良いか分からないくらい甘い・・・。
甘いの書きすぎて頭おかしくなりそうです(笑)
次はどうしようどうしようというか誰を活躍させよう・・・。
っていうか、お題に合わせて(合ってない)話を繋げるのが物凄く難しくて・・・・・・。
いっそのこと普通の長編として出したいくらいですよこのいい加減パラノベル。
canon 05 12 22 thu