05:初雪
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夢の中で、誰かが笑う。
神田が元帥になって十三日目の朝。
僕の大切な人を、この醜い手ではなく、キレイな両腕で抱き締める。
神田が自分からジールに触れて十三日目の朝。
この世界で一番望んでいる場所が、奪われる。
神田と同じベッドで眠らなくなって、十三日目の朝。十三回目の夢。
いつもは安心して目覚める場所。
一人の人間の体温ではどう足掻いても温もらないシーツが、酷く恨めしくて、でも涙だけは流さなかった。
神田が自分からジールに触れたのも、こうして違う部屋で眠る事も、きっと意味がある筈。
一人で眠るのはどれくらいぶりだろう。
神田が任務に行っている時だって一人で眠っていたけれど、あの時は彼の部屋で眠っていたから、こんなに寂しくはなかった。
この時期、彼の部屋は塔の端にあるから寒い。
でも、温もりが無くても神田が存在していたと知らせる物は多く存在していて、だから寂しくはなかった。
神田の眠るシーツを頭から被って眠れば、抱き締められているような感覚に陥るから・・・・・・こんな風に、独りじゃなかった。
冷える身体に一人だけの温もりを主張するシーツを巻き付け、窓から外界を見遣る。
あまりに寒いのでもしかしたらと思ったら、案の定。
「雪・・・・・・今年は初めてかな・・・」
気付けば、部屋の中だというのに吐く息が白かった。
備え付けの時計は朝の5時を指す。
夢見の悪さと、行き場のない心を正常に戻すために、僕は鍛錬へと出掛けた。
まだ深くはない雪。でも、うっすらと地に積もっていくその白は今でも少し怖かった。
雪が降る度に過去に囚われそうになった僕を、神田は恋人になる前から何度も助けてくれた。
だから、今は昔ほど恐くない。それでも、少しだけ怖い。
何の意図も無く進んで行く足は、ある目的地を目指して歩いている。普段なら、神田と鍛錬する場所。
こんな寒い朝じゃ、きっと彼もいない。寒いの、凄く嫌いだから。
生い茂る樹木を掻き分けて、塔から少し離れた森の中。
背の高い木々に覆われて空も見えないような樹海だけれど、一角だけ木が切り開かれている場所が在る。
人工的なものか、自然の流れかは分からない。円状に開けた空。他の場所よりも多く雪が積もっていた。
「――――――――――ッ」
木の幹に背を預けて眠っている、愛しい人。
髪は高く結い上げられ、愛刀の六幻を脇に置いたまま、僕の気配に気付かないくらい深く眠っている。
閉じられた瞼の奥に見る夢は、一体誰を映しているの?
決して呑み込まれる事の無い鋭利な漆黒を纏い、雪という白に汚される事無く存在する。
キレイな神田。
付き合いだした頃は、そんなあなたを僕という白で汚すのが怖かった。
今では思い返すだけだけれど、こうして雪の中にいる神田を見てしまったら鮮明に思い出して、また怖くなる。
こんな気持ちを紛らわせたくて、そんな詭弁を持って、僕は誤魔化すように神田へと近付く。
真っ白な世界で存在を誇示する漆黒。あなたとは真逆に、僕は今すぐにでも同化してしまいそう。
―――――――――チュ
呼吸をする唇に、自分のそれを重ねる。
眠りを妨げたくなくて、十三日ぶりの口付けは触れるだけの可愛いキスで終わった。
随分と冷たくなっている唇、あなたはいつからここにいたの?
いくら教団の団服が優れた機能性を持つ防寒具だと言っても、このままでは風邪をひくに決まっている。
辺りを見回しても雪を遮断するような物は何処にも無い。
せめて神田の団服に僕のようなフードが付いていれば――――――――――
思い至った瞬間に、僕は自分の着ている団服のボタンを急いで外した。
脱ぎ去った途端刺すような寒さが襲ったけれど、そんな事はどうでも良い。
神田は僕よりも長身で、出会った時よりもその背は高くなってしまって、僕の服のサイズじゃ間に合わない。
「でも、無いよりは良いよね」
きっと、髪も下ろした方が良い。その方が温かい。
結わえている紐をシュルリと取り去れば、重力に従って艶やかな黒髪が落ちた。
手には深い濃紺色・・・黒と言っても良いかも知れない紐があって、何だか放したくなかった。
眠れない夜が何日も続いて、そろそろ意識的に睡眠を摂りたいと思っていた。でも独りでは、眠れなかった。
僕は自分の襟元で結んでいたリボンタイを解いて、そっと神田の手の平に置く。
「すみません。ちゃんと返しますから・・・・・・少しだけ貸して下さいね?」
もう一度キスをして、震える肩を抱いて踵を返す。
来たときと同じように足音を消して、振り返らずに塔へと戻った。
走り去る背中を見送る視線が、一つ。
手の平に置かれたリボンタイを見つめ、まだ少しだけ温もりの残るそれに、愛おしむように唇を寄せた。
塔がすぐ近くに見えると、僕は一気に部屋まで走った。
肩に積もった雪を落として、バスルームに向かう。これで僕が風邪をひいてしまったら、きっと神田は怒るから。
苦笑とも微笑ともつかない笑みを浮かべて、キィとなる扉を押し開ける。
冷たい水から温かいお湯へと変わり、十分だと思えるまで温める。
お風呂自体は昨日の夜に入っているから、今は本当に冷えた身体を温めるだけで良い。
芯まで冷え切っていたのか思いの外時間が掛かり、出る頃には朝食の時間が迫っていた。
食堂の場所取りは神田の傍にいれば必要ないけれど、大量の食事を注文するために並ぶのは面倒臭い。
髪を拭いて、身体に残る水滴を取って、濡れたシャツは脇に置いて新しいシャツを掴む。
その拍子に、何かが落下した。床へと落ちる前に拾い上げれば、それは黒の結い紐。
自分でも口許が自然と綻ぶのが判って、鏡へと向き直る。いつも着けているリボンタイとは違う、丈夫な素材のそれ。
キュっと結んでみると、それは元の持ち主のように、シャツという白の中でも存在を際立たせていた。
早めに来たおかげで、食堂はさほど混み合っていなかった。
ただ、まだ帰っていないのか、自室でくつろいでいるのか、神田の姿が見えない。
仕方なく空いている席に座ろうとしたとき、不意に視界が真っ暗になった。
突然のことに驚いていると、唇の辺りに何かが触れる。
「っ、ん?」
柔らかい、布越しのキス。布越しでも、それが誰か判る。
首筋に冷たい指が触れて、襟元で結ばれた結い紐に触れられた。
頭を振って視界を遮った物を退けると、視線の先にはお馴染みのメニューをトレイに乗せた神田がいた。
目線を下げると、今し方まで視界を黒く染めていた自分の団服。
あぁ、これだったのか、と。笑みが零れた。
人の少ない時間帯であったため、誰にも気付かれる事無く一連の動作をやってのけた恋人。
ここにジール・クライズがいたとしたら、それはもうキャンキャンと僕に噛み付いていたんだろうな・・・・・・。
「神田さーん!!おはようございます!!お隣空いてますかぁ?」
そう、こんな調子の癖のある喋り方で。
僕の脇を何故か全速力で通過し、問うた相手の是非も無いまま隣へと着席した。
当然ながら、その光景は不愉快で・・・努めたつもりだったけど、神田に見抜かれてしまった。
神田はジールに気付かれる事無く露骨に嫌な視線を投げて、僕に向き直って優しい微笑みを浮かべた。
口の動きだけで、『悪い』と。
先程の神田からのキスと、今の小さな謝罪で、寂しくて仕方なかった筈の十三日間が埋められる。
何とも現金で、可笑しい。
「あ!神田さん結い紐変えたんですね!!とってもお似合いですぅ!!!!」
神田の結い紐は、僕の首に結ばれている。
振り返って神田を見ると、いつも結われている高い位置では無く、肩辺りで一纏めにしていた。
髪を纏めているのは、少し前に神田の手の平に置いた僕のリボンタイ。
試した事は無かったけれど、銀と白のストライプのそれは神田の漆黒の髪によく映えていた。
嬉しくて、目を細める。
離れていても同じ場所にいるような気がして、何故だか泣きたくなるほど嬉しかった。
「あれぇ?あのリボンってタイだろ?アレンのだよな?」
背後からのし掛かってきた青年はとにかく不思議そうな声で言った。
「ラビ、おはようございます」
「おはよ、アレン。今日も美人。で、あれは?」
悪意も企みも無い笑顔で言われて、同じように微笑んだ。
「僕のです。でも、言わないで下さいね?ジールは気付いてないみたいだから」
未だに神田の髪とリボンタイの組み合わせに絶賛しているジールを見て、ラビは溜息を吐いた。
そんな彼を見て、僕は嬉しくて笑った。性格が悪いのは承知の上。
ラビは僕に目線を落として、徐々に口の端を上げていく。
「んで、それはユウのか」
指差された場所には黒の結い紐。
ニッコリ笑うと、頭を撫でられた。
僕に兄弟がいるとか、そんな話は知らないし、家族というものも物心ついた時にはマナしかいなかった。
想像の中でしか解らないけれど、『兄』という人は、きっとラビのような存在の事を言うんだと思う。
ラビは出会ったときから変わらず、『お兄さん』。その居心地良さの距離は今も変わらない。
神田の次くらいに、僕はラビに甘えているんだろうな。
「朝飯、食うなら一緒しよ。一人じゃ味気ねーさ?」
誘い出に二つ返事で了解し、僕とラビは空いている席へと着いた。
「アレンさん。僕と神田さん、今から外へ行って来るんですけど、一緒に行きませんか?」
食事が終盤に差し掛かった頃、離れていた席にいたジールが何故か目の前にいた。
無邪気な蒼い瞳の奥には明らかな邪気が含まれていて、気分が悪い。
いつもなら僕と神田が一緒にいるだけで間に割り込んでくる彼が、何故今日に限って自分から誘ったりするのか。
ジールの肩越しに眉を顰めている恋人が見えて、神田もジールの行動を不審に思っているみたいだ。
下手な笑顔で接するジールに悪態を吐いてやりたかったけれど、それは僕の奥底に根付いているクラウンが許さなかった。
何人もの人達を騙してきた笑みを作り、ジールに微笑みかける。
「じゃあ、僕も行かせてもらいます。ラビ、また後で」
ジールに向けた笑みを崩すわけにはいかなくて、僕はラビにも同じ笑顔を作った。
それに気を害した様子も無く、ラビも最後の一口を放り込んだ。
「おう、またな」
席を立って、ジールを振り返る。
「行きましょうか」
「はぁい」
パタパタと走って神田の元へ行き、無邪気に微笑んでみせている。
僕に向けたあの笑顔ではない。本部に何十人といる団員の中でも、神田にだけ向ける笑み。
本当に神田の事を好いているらしいけれど・・・・・・可哀相なくらい無駄だと思う。
そんな事を思ってみても、僕の口許はやっぱり緩く吊り上がってしまった。
神田は腕を引いて『早く』と急くジールを好きにさせ、ゆっくり歩いている僕を振り返った。
神田が何のためにジールが触れる事を許しているのか明確には解らない。
何か疑問に思う事があるなら僕にも話してくれたら良いのに・・・でもそうしないのは、僕が知ってしまっては予定が狂うのだろう。
ならば、愛しい人の思うままに振る舞うことが僕の務め。
いつもと変わらず、ジールにささやかな敵意を向けて、それでも余裕の笑みは絶やさずに。
でも、ジールは僕と神田が喧嘩をしているとでも思っているらしく、最近は挑戦的な笑みを浮かべている。
「アレンさんは雪、お好きですかぁ?」
「えぇ」
穏やかに微笑んでみせると、ジールは何故か目を見開いた。
意外、というよりは・・・どうして、と。そんな瞳で。
「・・・・・・どうかしました?」
「え、いえ。何でもないですぅ」
この時、一瞬だけ崩れた出来損ないのクラウンの笑みに、違和感を覚えた。
朝の粉雪とは違い、今は吹雪とも言えるほど大きな雪が灰色の空から落ちてくる。
風も強くなってきた。
もっと森の奥へ行こうとするジールを窘めながら、神田は何度も僕を振り返っていた。
粉雪なら堪えられる僕が、吹雪になると怖がるのを知っているから。
心配させないように微笑んだけれど、神田の表情が明るくなる事は無い。
「大丈夫です」
そう口にしようとした刹那、視界から二人の姿が消えた。
世界は壊れてしまったのだろうか。
正常に働く頭は、そんな途方も無い事を思った。
前も後ろも判らない場所は全ての音が消え失せて、何も考えられない。
凍てつくほどの寒さに、五感は正確に機能していないみたいだ。
「か、んだ・・・・・・・・・?」
何も聞こえない。自分の声も判らない。
どうして、いないの?
「――――――っ、ぁ・・・」
濁りの無い白を誰が神聖な色だなんて言ったの?
僕の罪は白に閉ざされたまま。
また失うの?
受け入れてくれた場所。
ふっ、と力が抜けたと思ったら、頬に冷たい感触が当たった。
下手に動こうとした所為で雪に埋まっていた足が縺れてしまったらしい。
身体が冷たくて仕方ない。
唯一温かかった物と言えば、こめかみを伝った涙だけ。
「また・・・独りになるの・・・・・?」
僕からマナを奪った白は・・・・・・神田まで奪って行くの?
身体が凍り付いていたのか、意識が凍り付いているのか、心が凍り付いてしまったのか。
何も解らずに、ただ涙だけが、真っ白な罪に溶け込んでいった。
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所有物のトレードが大好きです。
ジールはアレンより一つ下なので丁寧語遣わせようか迷ったんですが・・・。
何となく丁寧語の方が余裕のある恋人っぽくて〜(明らかな思い込み)
神田の結い紐やアレンのリボンタイの色は勝手に変えさせて頂きました(笑)
・・・・・・ジールって、もっと重要なポストだと思っていたんですが・・・はっきり言って存在無いですね、この子。
本当に、アレン君痛め付けてばかりでスミマセン。
もう、しばらくは痛いアレン君書きたくないです。
聖誕祭も痛いし。
canon 05 12 11 sun