番外編 −後悔の拾い物 前編−
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船の中に応接室などありはしないので、手が空いたからとカードゲームを楽しんでいた水夫の部屋から持ち出した
テーブルと椅子には、現在4人の男達が腰を下ろしていた。
着席した時から俯いているアレンは神田の横に座り、神田の前に座ったラビはニマニマと楽しそうに笑っている。
そしてその隣では、現在の黒耀では見かけない風貌の男が出された料理を咀嚼していた。
先程から一向に顔を上げようとしないアレンは余程目の前に居る男と会いたくなかったのだろう。普段神田が声を
掛ければすぐに返事をするアレンだが、今このときばかりはそういう気分にもなれないらしい。
神田とラビは自分の隣に座っている少年と――――さすがに中年とまではいかないだろう――――男を見比べなが
ら、つい先刻救助した経緯を思い返していた。
辛い別れから数日。アドリア海を去った船は地中海を西へ、ジブラルタル海峡を目指していた。
マストを膨らませる方向は願ったり叶ったりで、船長の機嫌も良い。多少は忙しいが水夫達も問題無く作業に取り
組んでおり、順調な航海と言えた。
【黒耀】の船長である神田の機嫌が良いということは、同時に乗組員である水夫の心の平穏が約束される。
航海の不調を水夫へ八つ当たりで発散する――――日常茶飯事だ――――のを見ているアレンにとっても、この日
の朝はとても穏やかで過ごし易い一日の始まり・・・だったのだが、何処をどう間違えたか、航海長であるラビが要ら
ぬモノを発見したのだった。
「ユーウー!10時の方向に座礁した難破船はっけーん!!」
「知るか!!」
マストに登っていたラビが敬礼に似たポーズのまま遠くを見渡して嬉しそうに声を掛けると、神田は欠片ほどの興
味も示さず即答した。
神田は順調に航海が進めば進むほど機嫌が良くなるが、その間に邪魔をされる事があれば機嫌はいつもの倍以上に
悪くなる。
それを肌で知っている水夫が『頼むからそれ以上言わないで下さい。被害を被るのはアンタじゃなくて俺達なんで
す』と心中で叫んでいるとは露程も知らず、ラビは尚も船全体に聞こえるほど声を張り上げて船長の機嫌を下降さ
せた。
「えー!?でもお宝あるかも知れねーじゃん!!貴重な書物とか乗ってるかも知れねーさー!!」
「テメェはまだこの船に本を持ち込む気か!!?」
マストの頂と舳先で叫ぶ航海長と船長、その間に挟まれてビクビクと作業を続ける水夫の誰もが「短い安息だった」
と呟く中、パタパタと軽い足音を立てて勇敢な少年が現れる。
船を取り仕切る二人の声に驚いてキャビンから出てきたアレンが階段からひょっこりと顔を出し、その後をティム
キャンピーという名の小鳥がパタパタと羽音を鳴らしてついてきた。
その姿に、水夫は歓喜したらしい。
『アレンは俺たちの天使だ』、と。
「何の話ですか?大声で・・・」
「ラビが座礁した難破船を見付けた。珍しい書物があるかも知れねぇから行きたいとぬかしてやがる」
「難破船・・・?」
しまった、と、神田が思った時にはもう遅い。
「・・・見捨てるんですか?」
酷く哀しそうな声にグッと詰まり、自分の失態を激しく嘆く。
ラビの言葉など無視してしまえば良いが、アレンに知られてしまっては逃げ道が狭まったも同然だった。
「人が乗っているかも知れないのに・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
普通、船の上では船長の決定には逆らえない。
もし逆らえば、海賊によっては仲間の水夫の前で「同じ事をすれば明日は我が身と思え」と見せしめよろしく鞭打ち
にされる船だってある。
黒耀では偶々先代の船長がそういった血生臭い事を嫌っていたので今も行われていないが、そうで無くとも、この神
田に異論を唱えるなどという偉業を成した水夫はいなかった。
先程叫んでいたラビの言葉は、船を強制的に足止めするような意味を含んでいない。あれはほとんど日常茶飯事のよ
うな物なので、神田も真面目に相手をする気は無かったのが・・・・・、今アレンが神田に面と向かっている状況は、
『異論』だ。
行く気は無い、という神田の意思表示を頭の隅にも留めず、アレンは船長に対して自分の意思を曲げない。
例え水夫見習いで無くとも、この船に乗っているからには黒耀の一員として乗船しているのだから扱いは同じ。
それに、ここでアレンの願いに屈しては――――実はアレンが乗船して片手ほどは屈している――――乗員を纏める
船長という立場の意味もない。
船長は船にとって頭故、いくらアレンでもそう簡単に何度も叶えてやるわけにはいかない。・・・・・・・・・筈、だった。
「・・・神田ぁ・・・・・・」
涙目、涙声、上目遣い、懇願。
どこで覚えてきたんだと問いたくなる表情に為す術もなく、神田はガックリと肩を下げた。
いつの間にかマストから下りてきてアレンの背後でニコニコと嬉しそうに笑っていたラビに舌打ちをし、今にも泣き
そうなアレンの目尻を乱暴に拭く。
「・・・・・・舟を下ろせ」
「アイ・アイ・サー!!」
嬉々として水夫を呼び集めるラビの背中を見遣りながらもう一度舌打ちをして、神田はアレンを一瞥する。
己の甘さに内心呆れながらも、俯き加減で嬉しそうに笑っているアレンの顔を確認すると、そんな事はどうでも良く
思えた。
だが、いくらここ数日この辺りが大した災害も無かったとはいえ、何日も難破していた船であれば乗員が生存してい
るという可能性は低い。
神田がアレンの願いに迷っていたのはそういう理由も含めてだった。
あの難破船に乗っていた者が他の船に救助された。あるいは、皆海の底に沈んでしまったのならばこのような危惧は
要らない。
問題なのは、死体が腐食途中か、干からびていた時だ。
それを知った時のアレンの落胆加減を思うと、神田は舟を下ろす許可を出した今でも眉間に寄せた皺を消し去る事が
出来なかった。
「じゃあ、行って来るさ〜」
「気を付けて下さいね?」
「おう!」
ラビは片手を上げてアレンに笑顔を向けた後、神田と目が合うと音は出さずに唇だけを動かした。
『心配しなくても、要らない情報は持ち帰らない』
知ってはいたが、よく出来た人間だと、神田は頭を抱えた。
どんなに悪態を吐いても、航海長とは船長と同じかそれ以上に船に必要な人材なのだから。
「僕も行きたかったなぁ・・・・・・」
「あ?落ちたらどうする気だ」
「神田・・・僕こう見えても運動神経良いんですよ?」
ぷくっと膨らませる頬を面白そうに突きながら、神田はへぇと口許を歪めて笑う。
「娼館に居たときに旅人が立ち寄ったんです。カードゲームもその人に教えてもらったんですけど、すっごく傲慢
な人で・・・自分は船の航海長をしている、なんて言っていましたけど絶対嘘です。あ、それで、その人から少しだけ
武術を教わったんですよ。三ヶ月くらい娼館に居座ってたから・・・」
「はっ、航海長が娼館に三ヶ月も滞在するわけ無ェだろ」
「だから、ね?嘘臭いでしょう?」
座礁した船に辿り着いたボートを遠くに見ながら、アレンは手摺りから身を乗り出して潮風を浴びる。
昔を思い出してか、その愛らしい顔にはおよそ似合わない皺を眉間に刻み込んでいた。
そしてまるで伝染したかのように、神田の柳眉も顰められる。
アレンが昔を思い出す事に関してはどうも思わないが、アレンの口から男の話が出るという事が気に入らない。
いくらアレンの『初めて』を奪ったのが自分だという事が明白であっても、恋人は独占したいものだ。
過去に記憶を手繰らせているアレンは神田が髪を梳いても、何となく引っ張ってみても気付かない。
(ここまで惚れるなんてな)
こんな筈では無かったと思うが、ではどんな筈だったのかと問われても返す言葉などない。
神田はただ広い海を眺め、その海よりもさらに深い溜息を吐いた。
「・・・・・おい、どうした?顔が青いぞ?」
ふと見遣れば、先程まで舟を楽しそうに見つめ、過去の記憶に眉を顰めていた少年の顔は普段よりも白く――
――下手をすれば青白い――――、神田は眉を顰める。
船酔いでもしたのだろうか、という気遣い余所に、アレンは神田を振り返ると今にも泣き出しそうな瞳で声を張り
上げた。
「神田!!今すぐあの舟沈めましょう!!」
「・・・・・・あぁ?」
目尻に涙をいっぱい溜め、胸元に縋り付く様はなかなか庇護欲をそそるのだが、
「馬鹿か。ラビや水夫が乗ってんだぞ?」
「あの人だけで良いんです!!お願いします!!!!」
『あの人』とは誰のことなのか。
アレンの人差し指の先、海上を往く舟の上にはどうやらラビや水夫以外にも人が乗っているらしい。
生存者が居たらしく、普段のアレンならば大喜びすること間違い無い。当然、ラビもアレンが喜ぶだろう
と予想して連れ帰って来ているのだろうに、『沈めろ』とは何事か。
徐々に近付いてくる舟を睨み付けるように見れば、とりあえず体躯的に男だと判断出来た。
帽子を被っている所為で顔までは窺えなかったが、それは上がってきて確認すれば良いだけの話だろう。
「梯子を下ろせ!」
「―――ッ、神田ぁっ!!!」
ぎゅぅっと抱き付いてくるアレンの髪を呆れながらもグシャグシャと撫で、幼子をあやすように背中を叩いてやる。
「問題人物なら船倉にでも放り込む。・・・大体、お前あの男を知っているのか?」
質問に、アレンは硬直する。なんと言って良いかすぐには言葉が浮かばないようで、口を何度もパクパクと開閉さ
せて、ゆっくりと音を紡いだ。
「あの人は――――」
「たっだいま〜!!ユウ!すっげーモン連れて帰ったぜ!!!!」
嬉々とした声が近付き、神田は嫌々ながら後ろを振り返る。
そして案の定、両脇に抱えた本を大事そうに運ぶラビに盛大に溜息を吐き、震えるアレンを懐深く抱き締めた。
「あれ?どうしたんさ、アレン」
「お前が連れ帰った奴に会いたくねぇんだと。舟を沈めろとまで良いやがった」
神田の言葉に「嘘ぉ・・・」と目を丸くし、ラビは信じられない様子でアレンを覗き込んだ。
虫一匹も殺せないような優しい少年が言う言葉とはとても思えず、頬を指先で掻きながら苦笑してみせる。
「大丈夫だって。あの人は変わり者だけど一応真っ当な人間だからさ〜。ちょーっと人使いと金遣いと女遊びが荒
いだけで・・・」
「自分の借金を僕にイカサマカードゲームで返済させて、尚かつその借金の名義を僕に書き換えた後トンカチで人
を殴ってトンズラするのが真っ当な人間ですか!!?」
滅多に声を荒げないアレンの怒声に、神田とラビは一瞬たじろいだ。
そしてすぐ、『どういう事だ?』と首を傾げる。
アレンの口振りからして渦中の人物とは面識があるらしく、ラビもその男を知っている。
神田は自分だけが何も理解出来ていない状況に次第に苛つき、ラビを睨みつけて視線だけで「誰だ」と訊いた。
「ユウもよーく知ってるさ」
ギシリと、床の軋む音がして、アレンは神田の背に回した腕の力を緩めた。
「おい・・・?」
ギシリ、という音は次第に近付いてくる。
その足音がする度にアレンは神田から手を離し、少しずつ離れた。
「神田、ラビ、僕ちょっと失礼します」
言うなり、アレンは突然舳先に足を掛けて上半身を乗り出した。
「うぉぉおおお!?ちょ、どこに失礼する気さ!!!!」
「何早まってやがんだ馬鹿!!!!」
「放してぇぇえええっ!!あの人に会うくらいならお魚さんと海で暮らしますぅうう!!!」
必死で抵抗するも虚しく、大の青年2人の力に大して鍛えてもいない少年が適う筈も無い。
ゼイハァと肩で息をするアレンの耳に、すぐ傍まで近付いていた足音が不意に止んだ。
この瞬間だけ、海は凪のようだった。
「よぉ、馬鹿弟子」
「し・・・師匠・・・・・・」
感動の再会とはほど遠い運命の悪戯に、アレンは気を失いたくなった。
後編
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いつからそんなヘタレになった船長よ。(切実に)
やっぱり愛は人を変えるのね。
見事なまでに骨抜きね。
そんなんで良いのかと突っ込みたくなりますがスル→(笑)
さて、噂の美丈夫がコンニチハ。
ですが私は明日旅立ちます。
後編はまた後日。
2006 07 28 fri