A hometown of tears --- 01

アレンは鏡に映る自分を見ながら襟元でタイを結び、その上からジャケットを羽織る。 十一歳の誕生日に黒の教団の室長であるコムイからプレゼントされたそれは科学班によって作られたオーダーメイドらしく、 だがアレンにとって唯一の不満と言えば、十二歳の誕生日を一月後に控えた今でも“ぴったり”だという事だった。 周囲から「そのうち伸びるよ」、「もっと野菜も食べなさい」と言われて渋々頷いては来たが、一年も経つのに身長が1cm も伸びないなんて可笑しくは無いだろうか? 鏡の横の壁に付いている小さな傷は、教団に来て毎年誕生日の日に自分の成長を確かめる為に付けてきたもの。 それが今年の誕生日には必要無くなるのではないかと、アレンは大きな溜息を吐いた。 だがきっと、この部屋の本当の主は喜ぶだろう。 アレンが成長しなければ、毎年壁に増えていく傷が今年は付かないのだから。 ピピッ。 しばらく眉を顰めた自分と睨めっこしていたが、朝食の時刻を知らせるアラーム音が鳴ると同時に、アレンの思考は切り 替わる。 まだ修行中の身ではあるが、寄生型故に人一倍エネルギーを必要とするアレンの食事量は半端では無いので、食堂が開く 少し前に行っておかなければ自分の座る席------大漁の皿を乗せるスペース------が無くなってしまうのだ。 アレンは慌てて部屋を飛び出そうとしたが、ハッとある事に気付いて、もう一度鏡の前に立つ。 寝癖を直し、少し曲がっていたタイをきちんと結び直して、ついでに笑顔の練習までしてみる。 普段より入念に今日の自分を輝かせたアレンは鏡の中の自分に満足すると、今度こそ立ち止まる事無く食堂へと駆けだし た。 すでに徹夜明けの科学班や資料集めから戻った探索部隊の面々が机に突っ伏していたが、アレンはどうにか自分のスペー スの確保に成功した。 洋食を中心にデザートは和風まで用意された朝食を端から平らげていき、大人数人で食べるとしても一時間以上かかるだ ろう料理は、ものの十分も掛からない内に少年の小規模宇宙へと押し込まれていく。 積み上がり続ける空いた皿の向こう側に誰かが着席した音がしたのにも気を留めず、アレンはただひたすら食べる事だけ に集中していた。 「っ、美味しかった!!」 両手をパンッと合わせて満面の笑みを浮かべ、ごちそうさまでしたと頭を下げる。居候をしている部屋の主に習った作法 を、アレンは彼が居ない時でも常に心掛けていた。 食後の紅茶までゆっくり堪能し終え、空いた皿を運びやすいように積み上げ直す。 すると分散された器の合間から漸く向かい側に人が座っていた事に気付き、アレンは皿の壁に気分を悪くしなかっただろ うかと慌てて謝罪の言葉を掛けた。 「あ、あの、すみません・・・・・・机を占拠してしまって・・・・・・」 「今に始まった事じゃ無ェだろ」 「う、いえ、あ、それは、そうなんです・・・・・・けど?」 あれ?と首を傾げ、アレンは申し訳なくて俯いていた顔をゆっくりと上げる。 幻聴だろうか。 でも、彼は確か今日の夜頃に帰ってくる予定で。その為に自分も朝から念入りに身支度をして、久々に会う彼に恥ずかし くないようにと------、 「かん、だ?」 「・・・・・・何惚けた顔してんだ」 二月振りの再会だというのに、まるで昨日も会ったかのように話し掛けてくる神田の声が耳に届くなり、アレンの視界は じわりと滲んだ。 見た目や仕草から大きな怪我をしている様子は無く、“当たり”の任務だったのか、機嫌も悪くないらしい。 アレンは大きな瞳をきらきらと輝かせて机の下に潜り込み、床を這って向かい側の神田の横の空いたスペースに這い上が る。神田は思い切り眉を顰めて何か言いたげだったが、アレンの酷く嬉しそうな顔を見ると溜息を一つ零しただけでまた 食事を再開した。 食事の邪魔にならないように、けれど嬉しさが込み上げて床に着かない足をぶらぶらと揺らしながら、アレンは黙って神 田の横顔を見上げていた。 (神田が居なかった時に女の人達から神田の事を訊かれたって、言った方が良いのかな・・・・・・) 黒の教団本部には全体に対して二割程度の女性団員が在籍しており、その中で神田を密かに想っている存在は多い。 その数が急増したのは今から五年前。 それまでは刺々しく威圧的な空気ばかりを撒き散らしていた神田が、『どうやら寄生型のイノセンスを持つ子供の相手を 始めて穏和になったらしい』という噂が流れた。 元々見目は美しく、容易く女に靡かないところが硬派で素敵だと囁かれていた神田の意外な一面を垣間見た女性団員のハ ートは、いとも簡単に打ち抜かれた事だろう。 実際、神田に近しい者達も彼の目に見える変化には驚いていたようだが、神田を変えた張本人である“子供”にとっては 特別な事では無かった。 『神田は神田ですよ?最初は意地悪でしたけど、今はずぅーっと優しいですもん』 どうすれば神田が自分たちにも穏やかに接してくれるだろうか。 そう心を弾ませて訊ねてきた女性達に、アレンは不思議そうに首を傾げて全く同じ答えを返していた。 彼女たちとしては何か特別な理由があるのだろうと踏んでアレンを問い質すのだが、アレンの記憶には“刺々しく威圧的 な雰囲気を持つ神田”のイメージが殆ど無い。 仲良くなるまでに多少の苦難はあったがそれも乗り越えてしまえば思い出レベルの昔話で、真剣な表情で迫る彼女たちの 望む答えを、十一歳の子供が出せる筈も無かった。 ただ、 (みーんな・・・・・・神田が大好き) 幼くても、アレンにだってそれくらいは分かる。 もちろん自分も神田の事がとても好きだが、彼女たちの瞳に宿る神田への想いは、自分とは何かが違う気がしていた。 (何かが違う。・・・・・・何が違う?) それとも、本当に『違う』のだろうか? 「・・・・・・んぅーっ」 「何だ?食い過ぎて腹でも痛くなったのか?」 突然机に突っ伏したアレンに驚き、食事の手を止めた神田が心配そうに窺う。 いくら神田が穏和になったと言ってもこんな風に心配をされるのはアレンくらいのもので、他の団員が努力して得られる 物では無い。 それをアレン本人が理解していれば、 「考えすぎて疲れました」 「・・・・・・」 こんな状態に陥る事も無いのだが。 「お、アーレーン〜。ただいまさ〜」 「あ、ラビ!!おかっ、え・・・・・・り?」 名を呼ばれて煮詰まっていた頭を上げると、そこにはいつもはバンダナで上げている前髪を可愛いウサギのピンで留めた ラビがにこやかに立っていた。 決して似合わないわけでは無いのだが、どう見てもラビが自分でやったとは思えないソレに、アレンの目は彼が自分の隣 に着席してからも釘付けになる。 神田も横目で見たので気付いているのだろうが、あえて何も言わない事にしたらしい。 選択権を与えられたアレンはもちろん見て見ぬ振りも出来たのだが、しばし逡巡したあと、好奇心に負けておずおずと問 いかけた。 「ラビ。それ、可愛いんですけど、」 「皆まで言うなアレン・・・・・・俺も出来れば即行で取りたいんさ・・・・・・」 「え?」 グスン、と目尻に涙を浮かべたラビの言葉が理解出来ず、アレンはことりと首を傾げる。 どういう意味だろうかと反対側に座る神田に言葉無く問い掛けてみるが答える様子は無く、けれど何処か呆れたように 食事を続ける様は、何かしら事情を知っているようにも見えた。 そういえばと思い出せば、確か神田の今回の任務は二つ続けてあり、その二つ目はラビとの共同任務だった筈。 ラビが後から来たので忘れていたが、きっとラビに報告書を押し付けて神田は先に食堂へとやって来たのだろう。 「つーか、ユウずりぃ。俺にあんなの押し付けて一人で飯食ってさー!!」 「あんなの?」 「易々と捕まるテメェが馬鹿なだけだ」 「ねぇ、神田、ラビ。『あんなの』って何?」 言い争いを止める意味も含めて神田の左袖とラビの右袖を引っ張り、アレンはもう一度同じ事を訊ねる。 自分だけ会話に入れない事に不満を漏らすアレンの頭をラビが撫で、神田が厭そうに理由を説明しようとした刹那------、 「あら、何処へ行ったかと思ったらこんな所に居たのね」 「!?」 突如食堂に響いた声に、アレンの肩は大袈裟に跳ねた。 何故なら、聞こえてきた声は間違いなく“子供”のもの。だがこの本部にはアレンよりも年下の子供や、同年代の団員 などは存在していない筈で。 一体どういう事だろうとアレンが振り向こうとした時、ふと見えたラビの表情は、とても昏いものだった。 「女の、子・・・・・・?」 声の主だろう少女は何処かの民族衣装を纏っていて、両手を腰に当てていかにもご立腹といった感じでこちらを睨み付 けていた。 アレンは捜し人が見付かったのに何故怒っているのだろう?と肩を落としたが、少女の視線が真っ直ぐにラビを射てい るのに気付くと、何となく状況が理解出来た気がした。 出来るだけ後ろを振り向かないようにしているラビの額には冷や汗が浮かび、その少し上には鮮やかな陽色の髪を纏め ているウサギのヘアピンが目に入る。 室長、コムイ・リーの愛用マグカップに描かれているそれと同じデザインのウサギは、ペロリと舌を出していて何とも ファンシーだった。 (この子に・・・・・・やられたんだろうな・・・・・・) お気の毒にと思う反面、あまり関わりたく無いなと思ったアレンは身体の向きを直す。 先程から自分には関係無いと完全に無視をしている神田は食事を終え、祖国のお茶をまったりと啜っていた。 「レディーを放って行くなんてそれでも紳士?あなた達が私をここへ連れて来たのに、置き去りにする道理がある?」 『あなた達』という事は、やはり神田も彼女にとっては加害者の一人のようだ。 加害者二人に挟まれているアレンには本当に関係の無い事なのだが、座っている場所が何となく共犯者のようで落ち着 かない。 神田も食事を終えたのだし、早くこの場から去りたいと願って神田の袖を引こうとすると、それは横から伸びてきた手 によって阻止される事になった。 「わっ、ちょ、ラビ!?」 「黎花!!こいつアレンって言ってさ〜、お前と同い年なんだぜ?」 「『アレン』・・・・・・?」 「ッ、おい!!」 自分が助かる為にアレンという名の生け贄を捕らえたラビは、黎花という名の少女の注意をアレンへと逸らす。 羽交い締めにされたアレンは涙目になって抵抗を試みたが大人の力には適わず、神田も常になく慌てて声を荒げたが、 時はすでに遅い。 「・・・・・・それで?あなたは私と何をして遊んでくれるのかしら?」 自分で招いた結果とは言え、ここまで事が上手く運ぶと思っていなかったラビは顔面を蒼白にした。 腕の中で抵抗を見せていたアレンはいつの間にか沈黙し、諦めたように四肢を投げ出している。 小さなアレンを犠牲にした大人げなさを感じずには居られないが、黎花の興味は完全にアレンへと注がれていて、最早 引き返せる状況では無かった。 「さぁ、アレン。行きましょう?まずはこの場所を案内して頂戴」 満面の笑みで掌を差し出されたアレンは黎花に聞こえない程度の溜息を吐き、ラビの手を軽く叩いてから床へと降りる。 アレンからの小さな制裁にラビの心は更に痛んだが、黎花の手前か・・・・・・いや、アレンは純粋に優しい子だ。もし黎花 が居なくとも、ラビをこれ以上責める事は無かっただろう。 同じ目線に立ったアレンに花のような笑顔を浮かべた黎花は人の気も知らず嬉しそうで、伸ばした掌をアレンが取ると、 その笑顔はもっと華やかになった。 人の笑顔を見る事が好きなアレンにとって、それは迷惑ながらも嬉しく映った。 「アレン・ウォーカーです」 「白・黎花(バイ・レイファ)。数日間お世話になるわ」 案内をしろ、と言った割に自分よりも先を歩く少女の背を見ながら、アレンは少し妙な違和感を感じていた。 ラビが同い年だと言っていたので黎花もアレンと同じ十一歳なのだろうが、随分と命令に慣れ、そして相手が応じる事 を疑わない気質を持っている。 まるで誰かさんみたいだ・・・・・・と思考があらぬ方向へ流れ始め、アレンは背筋に冷たいものが這うのを感じて慌てて首 を振った。 環境が彼女を育てたのか、彼女自身が生まれながらにして人を扱う側の気質を持っていたのかは分からない。いずれに しても、背筋を真っ直ぐにして堂々と歩く様は、きっと何処か良い家の出なのだろうとアレンは一人で納得した。 「アレン、この階は何?」 「あ、ここはコムイさんの実験フロアって言うか・・・・・・あまり関わらない方が良い場所です」 「コムイ?あぁ、あの眼鏡のね」 食堂を出てからというもの、黎花は「この階は?この部屋は?」と訊いて来るが、それ以外の質問はして来ない。『数 日間お世話になる』という期限付きの言葉通り、きっと必要以上にこの教団の事を知る気は無いのだろう。 アレンが仲間の事、夕焼けの見える場所、野苺が摘める中庭など色々な事を説明の合間に話しても、黎花が興味を示し た場所は一つも無かった。 黎花は決して自分の事を話そうとはしないし、アレン自身の事を訊こうともしない。 初めの印象は快活で好奇心旺盛に見えていたが、ほんの数十分も経たない内にアレンの中の白・黎花という人物は大幅 に修正された。 「この階は?」 「ここから上は主に団員の部屋です。空いている部屋に適当に振り分けられるので、どの班がどの階っていうわけじゃ 無いですけど」 後の説明は屋上だけかな、と上へと昇る階段に足を向けた時、ふと気付けば、アレンは前を歩いていた筈の黎花と肩を 並べていた。 黎花は手摺りに手を掛けたままフロアの奥を見詰めていて、アレンも自然とその方向を見てみるが特に目立つ物は無か った。 何か興味を惹くような物があっただろうかと声を掛けようとすると-----、 「黎、」 「ねぇ、アレンは『適合者』なの?」 「え?は、はい。そうですけど・・・・・・黎花は違うんですか?」 突然の自分自身に対する質問に慌てて答えながら、アレンは同時に湧いた疑問を口にした。 アレンは黎花も『イノセンスの適合者』として本部へ来たのだろうと思っていたが、よく考えれば、それなら『数日間』 と期限があるわけが無い。 もしも適合者ならイノセンスの番人でありエクソシストでもあるヘブラスカにイノセンスとのシンクロ率を調べて貰い、 シンクロ率がイノセンスを扱うまでに達していなければ、今のアレンのように日夜修行をしなければならないのだ。 「・・・・・・違うわ。私は保護されてここへ来たの」 「保護?」 緩く首を振った黎花は階段に座り込み、アレンも隣に腰を下ろす。 膝を抱え込んだ姿は年相応の少女そのもので、先程までの妙に落ち着いた雰囲気は何処かへ消え去っていた。 next 100000hit打者様から頂戴したリクエスト、「心間的距離」・「ちゅー」のその後のお話です。 前回の二つの話には時間差は殆どありませんが、今回はあれから五年後の設定で始まります。 つまり7歳だったアレン君は12歳に。18歳だった神田さんは23歳に。 打者様から許可の下りたオリジナルキャラクターの白・黎花を加え、お子様アレン君の成長を 描けたらと密かに思っておりますので、お時間のある方はどうぞ付き合ってやって下さいv 07/03/14 canon
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