An¬Alphard --- 後編




ティエドールの部屋へと案内されたアレンは、初めて足を踏み入れたその部屋の咽返るような油絵の具の匂いに驚いた。
定期的に掃除はされているらしいので埃は少ないが、この匂いの中で眠ったり、身体を休めたりすることはアレンには とても出来そうに無い。呼吸をする度に肺に送り込まれる独特な空気に、いつか嗅覚が麻痺してしまいそうだった。

「あぁ、窓を少し開けたら良いよ」

眉間に皺を寄せていたアレンに気付き、ティエドールは笑いながら言う。
自分の態度に気分を悪くしただろうかとアレンは窺ったが、部屋の主が気にした様子は無かった。

大元帥という地位を与えられているものの、それで特別他の団員と扱いが変わるというわけでは無いらしい。アレンは 自分や神田と同じ造りになっている部屋を軽く見渡して思いながら、手馴れた動作で窓を開けた。

「じゃあ・・・・・・窓辺で椅子に腰掛けていてもらえるかな?退屈だろうけど、小一時間程度で済むから」
「はい」

指定された通り、窓辺に椅子を置いて腰掛ける。座っている時のポーズまでは言われなかったので、気を抜いて楽にしている ことにした。
しばらくしてから、大まかな輪郭や身体の形を取る音と、細かい線を何本も引いていく音が聞こえ始める。

思えば、こんな風にティエドール大元帥と二人きりになったことは無かったな、と、アレンは今更ながらに思った。
普段は神田と一緒に居ることが多いので、もし会ったとしても二人の会話を聞いているだけのアレンに、この状況は少しばか り緊張してしまう。誰との間でも沈黙というものをあまり気にしないアレンだったが、今回はさすがに、内心困り果てていた。
相手はアレンにとって『大元帥』という上司である以前に、自分の恋人の師なのだ。
仮にも聖職者である弟子が男を恋人にしたことについて、この人は何も思っていないのだろうか?
それともそういった話をする為に、今回わざとこのような状況下をセッティングしたのだろうか、とふと勘繰ったとき、

「うーん、ご名答。本当はちょっと、アレン君と話がしてみたかったんだよ」
「・・・・・・人の心を読まないで頂ければ、嬉しいです」

平静を装って返したものの、実際アレンの鼓動は大きく飛び跳ねていた。
他人を手玉に取ることには慣れているが、その逆に不慣れなアレンにとって、フロワ・ティエドールという人は、実はかなり 厄介な人物だったらしい。

「はは、失礼。でも私は心を読むことなど出来ないよ。ただの人だからね。私が読んだのは表情さ」
「表情?」
「あぁ、君のね。君は考えていることが、ふとした瞬間に顔に出る性質だろう?」
「・・・・・・そう、ですか?」

質問を質問で返すつもりは無かったのだが、自分でも自覚していないことを言われ、アレンは複雑な思いでつい語尾を上げてしまった。
クラウンの笑みを顔に貼り付けている間は感情を殺すことを心得ているので、他人からそんな風に見えているとは思いもしなかった。
もしかすると単に今まで指摘されたことが無かっただけで、本当は多くの人からそう思われていたのだろうか?
ティエドールは嘘を言っているようにも、勘で言っているようにも思えない。 そう思うと、曲がりなりにもクラウンとしてのプライドが傷付けられたような気がしたアレンは、内心面白くなかった。
相手が神田の師匠であることは、確かにある意味で緊張を解してくれる。同じエクソシストという立場故のものもあるが、警戒を しなくて良いのは精神的にも楽だ。
ただ、この目敏いまでの洞察力さえ無ければ。

感情に任せて尖りそうになった唇を引き結び、下手にボロを出さないようにと口を噤む。
だが、そんな状況回避の方法こそが「顔に出る性質」と指摘された点だと気付いたアレンは、すぐに別の話題へと意識を移した。

「本当に、涼しい風が入りますね」

ティエドールの言葉通り、そしてクロスの「あの部屋は油絵の具の匂いを溜めない為に換気が良い」という言葉通り、窓を 開けたときから涼しげな風がアレンの頬を撫でていた。
つい先程まで暑さに負けていたアレンを空調の効いた部屋から出すのを渋っていた神田や友人たちだったが、そこはすかさず ティエドールとの賭けに負け、どう足掻いてもアレンにデッサンを取られてもらいたいクロスのその一言で収まったのだ。
・・・・・・いや、今となっては、クロスもティエドールの真意に加担しただけかも知れないが。

「滅多に使わない部屋だから、私が占領しているのは申し訳ないくらいだ」

滅多に使わない、という言葉を頭の中で反芻し、アレンは何気無く室内を見渡す。
確かに大元帥たちの部屋も教団内のどこかにあるだろうとは思っていたし、もちろん部屋があること自体に不思議は無いのだが、 アレンはティエドールの部屋に入ったことはおろか、この部屋に近付いた事すら一度も無かった。
ティエドールの部屋は科学班の部屋がある階の最奥に位置し、クロスの部屋もまた、別の班と同じ階にある。
今では各班やエクソシストという部署的な分け方でそれぞれの部屋がある階が決まっているが、ティエドールやアレンの師であるクロス が本部の自室を頻繁に使用していたのは、きっともう随分前のことなのだろう。

元帥に昇進し、複数のイノセンスを所有して新しいエクソシストを探す任を負えば、本部に戻る暇も理由も無い。
エクソシストに成り得る適合者は、この宛ても無い世界のどこかに居るのだから。

「あの、大元帥、お聞きしても良いですか?」
「何だい?」

だが、アレンには腑に落ちないことがあった。
神田とラビが元帥昇進を果たしたとき、誰もが今までの元帥の任をそのまま引き継ぐものだと思っていた。けれど実際には、元帥という称号が与えられただけで特別何をするというわけでも無い。
危険度の高い任務には容赦無く送り込まれるが、シンクロ率が一介のエクソシストとは桁外れの元帥にとって、レベル3程度のAKUMAは赤子の手を捻るも同然のこと。
神田やラビとほぼ同時期に元帥候補として名が挙がっていたアレンから見ても、今の現状は甘やかされているとしか思えなかったのだ。

「これまでの、ティエドール大元帥や師匠が元帥のときは、複数のイノセンスを所有して新しいエクソシストの適合者を探す 為に世界を渡っていましたよね?それが今は何故------」
「私たちが元帥に昇格したのは、二十歳をとうに超えた頃だった。当時は今よりエクソシストも多かったからね」

アレンの言葉を切り、ティエドールは溜息を溢す。
昔を思い出してか、鉛筆を握っている手の動きが僅かに鈍った。

「だが、今はエクソシストが少ない。私たちの頃は元帥になる資質のある者が選抜されるような時代だったが、今はそうも 言っていられない。資質のある者はとにかく昇格され、何らかの理由を付けられて過酷な戦いを強いられる」
「・・・・・・その覚悟が、今の元帥たちには足りないと?」

憮然と言ったアレンの言葉に、ティエドールは少しの沈黙の後、静かに否定の意を込めて首を振る。

「言っただろう?私たちが元帥になったのは、二十歳をとうに過ぎた・・・・・・今の元帥たちよりも歳を取った頃だ。それまで 私たちは楽観的とは言えないながらも、少し気が抜けていた部分はあったんだよ。自覚したのは元帥という立場になってか らだったが・・・・・・。それが、今は二十歳そこそこの子供たちがあの時の私たちと同じ立場に居る。この現実は、君たちが思う 以上に、私たちには歓迎し難いんだ」

そう淡々と、けれどどこか哀しそうに、ティエドールは言葉を続けた。

「もっと、君たちには色々な可能性がある。それを私たち大人は潰していく。世界はその窓から見えるようなちっぽけなもの じゃない。自由に動く身体と意思があれば、本来なら君たちのような若者は、いくらだって選ぶ道があるんだよ」

ティエドールの口振りには、自分を含める「大人」という存在を酷く嫌悪しているように、アレンには感じた。
十代の頃から命を懸けた戦いを強いてきたことが、そうして大事な弟子を亡くしてしまったことが、今もティエドールを苛んでいるのだろう。
スケッチブックに落とされているレンズ越しの瞳には、アレンにはきっと理解出来ない、深い哀しみと後悔の色が見えた。

ラビはブックマンの後継者としての理由があったのだろうし、神田は「人を探している」と言っていた。エクソシストに なれば、会える可能性が高まるのでは、と。そう、随分昔に聞いたことがあった。
アレンが知る限り、リナリーは確かに無理矢理ここへ連れて来られたらしいが、今は自分の『世界』を護る為に 戦っているのだと堅い決意の瞳で語ってくれたことがある。
儚い部分も垣間見えることはあるが、それでも現実から目を背けずにいられるのは、彼女の強さだろう。

エクソシストとして一度入団すれば、簡単には退団出来ない。
もし退団の時が訪れたら、それは戦力外と見做されるか、殉職を意味すると以前師から聞かされた。

皆、何かの理由があってこの道を選んだのだ。
辛いと解っていても、それが自分の為であれ、他人の為であれ・・・・・・。


ふと窓の外に目を遣ると、遠くの空が目映いほど輝いていた。
もし楽園という場所が在るなら、あの空の向こうにあるのかも知れない。現実主義のアレンがそう思うほどに、視界に 拡がる世界は鮮やかだった。
とても、死に導かれているとは思えない。
今もどこかで誰かが大切な人を亡くし、その哀しみからAKUMAを生み出していることなど、この瞬間に信じられる筈も無い。
AKUMAは哀しい存在だ。故に誕生の瞬間も破壊の瞬間も、哀しみしか生まないし、哀しみしか残らない。
ただただ美しい景色を見ながら、アレンは口を開いた。

「ティエドール大元帥・・・・・・僕たちは自分で決めた道を誰かの所為にするほど、弱くはありません。誰に押し付けられても、 誘われても、最終的には自分で出した答えの結果だと、ちゃんと受け止められる程度には大人ですよ」

だから、そんな風に自分を責めないで下さい。
瞳で伝えた言葉に、スケッチブックから顔を上げたティエドールは何も言わず、ただ柔らかに微笑んだ。
再び窓の外へと目を向けたアレンは、自分でも驚くほど素直に会話をしていることに少々戸惑う。
神田の師匠だからという理由が強いかも知れないが、言葉がするりと口から零れていく。
入った事の無い部屋に、絵の具の匂い、そして黄昏と呼ばれるこの時間が、何と無く現実から切り離されているような錯覚を齎しているのも、理由の一つかも知れない。
時計の無い部屋に、鉛筆の音だけがする。正確には分からないが、大体の時刻は、沈んでいく夕陽が教えてくれていた。

「あの子が、」

自然に寄り添っていた沈黙を先に突き放したのは、スケッチブックの新しいページを開いたティエドールだった。
一枚なら、という口約束だったが、アレンはその事を口にしなかった。

「あの子が、『大切な奴ができた』と言ってきたときは、正直驚いたものだよ。出会った時から、子供らしくない子供だった。人を深く求めず、求められることを嫌う。このまま、この子はずっと、たった一人で生きていくの だろうかと・・・・・・」

思っていた、と続く言葉に、アレンは切ない笑みを溢した。
あの子、と。名前を言われなくても分かる。
今でこそ相思相愛も周知の二人だが、出会った頃は犬猿の仲と呼ばれていたことを、ティエドールは知っているのだろうか。
不意に苦笑を漏らしたアレンを不思議に思ってか、紙に向けられたままの瞳が僅かに丸い。
別段、隠すほどのことでも無いか。
逡巡したアレンは、過去の事だしね、と割り切ることにした。

「出会いが出会いだった所為もあって、最初は凄く仲が悪かったんです。何処で会っても喧嘩ばかりして、任務の時なんて必要以上に口も利かなくて」
「何か、転機があったのかい?」
「いえ、入団してしばらくは・・・・・・些細な衝突の連続でした。僕が書庫に飲み物を持ち込んで、神田が読んでいた本にぶちまけた時なんかは本当に大変で・・・・・・」
「あの子が、本を?」

不意に顔を上げたティエドールの表情と声音は、まるで「信じられない」と言っているようだった。
思わぬところに反応した瞳から穴が空きそうなほど見詰められ、アレンは何事かと身を強張らせる。
確かに神田は本を読むくらいの時間があるのなら鍛錬をしそうなタイプではあるが、生きていれば本を読むことくらいあるだろう。それが暇潰しであれ、何か探し物をしているのであれ、例えばそこに本があったのでつい手にとったら読み耽ってしまったとか、そんな単純な理由かもしれない。
あの頃は神田に対して敵意しか無かったので、今改めて考えてもそう不思議には思えない。寧ろ不思議なのは、ティエドールの態度の方だ。
驚いているアレンを見て逆に落ち着きを取り戻したのか、息を大きく吐きながら鉛筆を置いたティエドールはがしがしと頭を掻き、しばらく経ってから、そうか、とだけ呟く。
だがその続きの言葉を期待しているアレンに気が付くと、口許だけを歪めた微妙な笑みを浮かべ、窓の外へと視線を移した。

「昔はね、まだエクソシストになる前は、あの子は相当な数の本を読んでいたよ。ジャンルを問わず、古今東西の本を鍛錬の合間に読み漁っていた。-----だけどある日、巻いた螺子が切れたように本を読まなくなったんだよ。あの子がエクソシストになると決まった・・・・・こんな暑い夏の夜。鍛錬の合間にも本を読まなくなったあの子に理由を聞くと、『必要無くなった』と言った」
「必要、無い?」

語る途中、ティエドールの顔に暗い陰が落ちた。


『これから知る世界は、きっと本の中のように甘くは無いでしょう。だから・・・・・・こんな紙切れの中に描かれた世界も、どこかには在るんだろうと、知っていたかっただけです』


「そう言いながら星空を見上げた瞳に、昼には垣間見えていた『少年』のあどけなさは、もうどこにも無かったよ」

懐かしそうに、けれどとても寂しそうに、ティエドールは笑った。
そして昔話の終わりは、彼が再び鉛筆を握り締めたところで訪れる。
アレンはそれ以上何も問う事無く、ただ黙って色を変えていく空を見詰めた。

この大元帥がこんなにも自分たち若いエクソシストを大事に思ってくれる理由は、もしかしたら、自分の弟子たちへの後悔から始まったのかも知れない。
『少年』を自ら棄てた神田だけでは無く、数年前にノアから殺されたティエドール部隊の一人、デイシャ・バリー。
アレンは会うことが出来なかったが、彼もまた、未来ある一人の若者だったに違いなかった。





茜色に染まっていく空を追い払うように、夜が星をつれてやってくる。
刻一刻と変わり続ける世界の色にアレンが見入っていると、いつの間に描き終えたのか、達成感と満足感を浮かべた 表情のティエドールがすぐ傍に立っていた。
鉛筆の音も無くなった部屋は、静寂に包まれている。
言葉を掛けられないので、アレンも何も言わない。けれど何か、話したい気持ちはあった。こんな機会は、そう得られる ものでは無いと、感じていたから。

夕空が夜の星空へその場を全て譲る頃、コン、とノックの音が響き、二人のよく知る青年の声がした。

「ティエドール大元帥、そろそろ返して頂けますか?」

まるで物扱いの口調だが、アレンは少しも気分を害す事無く、寧ろ可笑しそうに笑った。
初めは「小一時間程度」という話だったが、実際には二時間くらい経っただろうか。短気な神田にしては、随分待った 方と言える。
椅子から立ち上がったアレンはティエドールに一礼して扉へと歩み、、ノブに手を掛けたところで、ふと手を止める。
振り返ったアレンに目を丸くしたティエドールは、銀灰の双眸が何事かを言おうとしているのを察し、黙ってその言葉 を待った。

「ティエドール大元帥・・・・・・僕は、ここへ来て良かったと思っています。過去が辛かったのは事実でも、その辛さが 在ったからこそ、僕はここで、平凡に生きていたら出会えない人たちと出会えました。・・・・・・あなたとも、神田とも」

眼鏡の奥で、瞳が慈愛の色を持って細められる。
アレンはくすぐったさを感じながらも、自分の師匠は絶対にこんな目をしないだろうな、と、ぼんやり思った。

「ありがとうございます。あなたが居なかったら、神田と出会うことは無かった」

深々と頭を下げたアレンに、ティエドールは瞠目した。
自分たち大人は責められこそすれ、礼を言われる立場では無いと思っていたのだろうか。
顔を上げたアレンは、困惑気味の表情にクスッと微笑む。
その悪戯っぽい笑みつい魅入ってしまったティエドールは咳払いを一つし、気になっていたのだろう質問を口にした。

「アレン君、あの子が読んでいた本と言うのは?」
「物語の本です。孤児の少年が施設を飛び出して、多くの人と出会いながら大人へと成っていく」
「君も読んだのかい?」
「えぇ。神田が読む一週間くらい前だったと思います」
「・・・・・・なるほど」

何か納得したらしいティエドールがにんまりと笑い、アレンは首を傾げるが、扉の向こうに待たせている神田を思い出して追求の為の時間を割くのは止めた。
ノブを回して扉を引き、そこに立っていた恋人にふわりと微笑む。
神田はあまり面白く無さそうな顔をしていたが、抱き着いてきたアレンを片腕で抱き止めると、窓辺に立つ師に向けて軽く頭を下げた。

「神田君」
「はい」

静かに名を呼ばれ、アレンを抱き留めたまま姿勢を正す。
その横顔をちらりと盗み見たアレンは、あぁ本当に、と思った。
確かに神田の瞳の中に、『少年』は居ない。もう成人してしまっているのだから関係無いかも知れないが、ティエドールにはこれが寂しかったのだろう。
神田へと向けられる慈愛に満ちた瞳は、つい今し方アレンへと向けられたそれとは、どこか違って見えた。

「待っていてくれたご褒美に、これをあげるよ」

ティエドールはスケッチブックを開いてその中の一枚を破り、神田へと手渡す。
はい、と師から直接渡されては「要らない」と言うことも出来ず、弟子は渋々それを受け取る。
だがそこに描かれていたものを見るなり、神田は満面の笑みを浮かべているティエドールを睨むように見詰め、小さな舌打ちを溢した。
一体何が描かれているのか、と気になったアレンは「見せて下さい」と手を伸ばすが、その願いは綺麗に無視されてしまう。
余程見せたくない物でも描いてあったんだろうかとティエドールを窺えば、神田からアレンに向き直った瞳には、どこか悪戯っぽさが含まれていた。

「アレン君、貴重な時間をありがとう」
「あ、いえ。お役に立てたなら、それで。・・・・・・大元帥、ここへはどれくらい?」
「今夜中には発つつもりだよ」
「そうですか・・・・・・お気をつけて」

それ以上の会話は生まれないと判断したのか、最後にもう一度軽く会釈をした神田が、先に踵を返す。
もしかしたらこの再会が最期かも知れないという日常の中に生きているのに、随分つれないことだとアレンは肩を竦める。
そんなアレンに無言のまま同意しているのか、ティエドールも呆れた笑みを浮かべていた。

「彼を、よろしく頼むよ」
「もちろん。・・・・・・独りにはさせませんよ。例え神田が望んでも」

意思の強い銀灰に見詰められ、ティエドールは安心したように頷いた。
去っていく二つの背を見送って部屋の中へと戻り、つい先程までアレンが座っていた椅子へと腰掛ける。
この本部がある場所の標高が高いせいもあるが、明かりの点いていない部屋からは、夏の夜空がよく見えた。
天上に輝く星は、あの日と少しも変わりはしない。
変わってしまったのは地上の景色であり、時代であり、人なのだろう。
そして弟子もまた、変わったらしい。

「アレン君の、おかげだろうね」

----- 不意に、視界の端できらりと光るものが横切る。
誰が言い出したのかは不明だが、流れ星が消えるまでに三回願い事を言うと星が願いを叶えてくれる、というのを聞いたことがあった。
他力本願としか言いようの無い・・・・・・けれどそうまでしても、古から人は、叶わない願いを星に託し、心の支えにしてきたのだろう。
空を駆けていく星たちが、その永い一生を終える。
その終わりと共に始まる人の願いは、あの煌きに果たして届いているのだろうか。

「願い、か」

椅子から立ち上がり、窓枠に手を掛けて少しだけ身を乗り出す。
どうせ聞き入れられるわけは無いと分かっているなら、一度だけ試してみても良いかも知れない。
星が流れるのは、ほんの一瞬。

「この戦いの果てに、少しでも多くの笑顔が在る未来を-----」










Fin.


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07/08/18






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