元帥様のお気に入り。

その、に。



「神田は好きな子いないの?」
 あまりに唐突な質問に、報告書を纏めていた神田はてきぱきと働いていた手の動きを止めた。
 この上司が何の前触れも無く意味不明な発言をすることは珍しくない。だが、何故、よりによってまた自分とは一番縁の遠い話題に走ってくれるのだろう。
「……答える義務はありません」
「じゃあ、いるんだ」
 何故だ。
 答える義務は無い、と言うだけで、この人の中ではそういう解釈に至るのか? それとも世間一般がその解釈に辿り着くのか?
 ふぅん、と勝手に納得するアレンをよそに、神田は今日もまた痛み出したこめかみを指先で押さえ、はぁ……と長い溜息を吐く。
 実際、特別な好意を寄せている相手がいるわけではない。ただあまりに突然な質問だったから――という理由の他に、このあからさまに退屈そうに報告書を作成している上司の相手をするのが嫌だったからだ。
 ただでさえ、今日は他の同僚二人が居ないのだ。
 居たら居たでアレンと一緒になってからかわれたかも知れないが、話題豊富な二人だから、きっと自分が素っ気無い態度のままでいれば、すぐに飽きて別の話題へと移ってくれる。
 だが、今日はその二人が居ない。
 つまり会話が無くなったところで、アレンの意識は「神田には好きな人がいる」という誤解を持ったままなのだ。
「……どうしてそんなことを訊くんです」
 神田からの問い掛けに、アレンは書類から顔を上げて目をまん丸にした。
「珍しいね。神田が会話のキャッチボールしてくれるなんて」
 にこっと微笑んだ表情に、厭味は無い。
 だからこそ性質が悪いのだ。
「人を非道呼ばわりしないで下さい」
「えー、褒めたのに」
 ……どこがだ?
 咽喉まで出掛かった声を押し殺し、小さく息を吐いて胸元に渦巻いている不快感を遣り過ごす。
「んー……明日、何の日か知ってる?」
「二月十四日?」
「うん」
 質問を返したアレンは作成途中だった書類を横に置き、唇の端を緩く吊り上げて机に頬杖をついた。
 今年で二十一になるアレンの身長は百七十もなく、身体つきも弟子の神田の方が逞しい。けれどそんな些細な仕草だけは、彼が年上だという事実を裏切らない。それは普段から「本当にこいつが年上なのか」と疑っている神田でも認めるしかない、不思議な魅力だった。
 一刻も早く自室へ帰ろうと思っていた神田だったが、銀灰の奥にある楽しげな輝きに僅かな興味を惹かれる。それでもアレンのように完璧に手を止めるのではなく、少し作業の速度を落とすだけにしておいた。
「何かあるんですか?」
「神田らしくないなぁ。少しは悩んでよ」
 悩むことが『俺らしい』なら、その諸悪の根源はアンタだ。
 書類に目を落としたままだった自分を、神田は内心で褒めた。もしアレンと目が合っていたなら、きっと馬鹿にされるほど嫌そうな顔をしていただろう。
(二月十四日……)
 報告書を綴る手はそのままに、意識の半分を雑談の内容へと切り替える。
 沈黙している神田が無視を決め込んでいるわけではないということは、師弟の付き合いで伝わっているのだろう。向かいで微笑んだままのアレンは答えを急かすような真似はせず、ただ黙って愛弟子を見詰めていた。

――与えられたヒントは『二月十四日』。

 神田はラビほどではないが、暇潰し程度には読書をすることがある。
 記憶のページを捲っていくと、憶えている限りで『二月十四日』に関係がある史実は、どこかの司祭が皇帝に迫害を受けて処刑された日だった。
 兵士の自由結婚禁止政策を反対した為に、皇帝の怒りに触れて殺されてしまった一人の司祭。名をなんと言ったかまではさすがに覚えていないが、随分古い歴史だったように思う。――そこまで思い出して、神田はふと眉を顰めた。
 そもそも、「好きな子はいないの?」と訊かれたのが、全ての始まりだった。だが、あの質問と『二月十四日』と、もし今思い出した史実に関連性があるとしたら、それは一体どんな因果なのだろう。
 頬杖をついている師は相変わらずの表情で、結局悩み始めた自分を面白そうに眺めている。
 「降参」の二文字を口にはしたくなかったが、いくら考えたところで、最終的に三つにまで増えたヒントが自分の中で繋がることはない。
 仕方無い、と諦めた神田が小さな溜息を吐き出したとき、今まで姿勢を崩さなかったアレンが机の端に寄せていた書類を手元へと引き戻した。
「自由結婚禁止政策に背いて兵士とその恋人の挙式を執り行った司祭は、皇帝の怒りを買って命を落とした。そうして司祭は死後、『恋人たちの聖人』として崇められたんだ。その司祭の命日でもある二月十四日が、現在では意中の相手に花束やお菓子、カードなんかを贈る日になったってわけ」
 すらすらと話し終えるとほぼ同時に、アレンの分として配分されていた報告書が綺麗に片付く。ばらばらの書類の端をとんっと揃えることで作業に一区切りをつけると、アレンはさっきと同じように、また頬杖をついて神田を見詰めた。
「まぁ、今は意中の相手だけにじゃなくって、日頃お世話になっている人への感謝の気持ちを伝えるために何かを贈る日、っていうのもあるみたいだけどね」
 あからさまに何かを含ませた言い方とさっきまでとは違う笑顔に、黙って話を聞いていた神田は自分の作業を再開させた。
 大体、どうして自分が『司祭が処刑された日』のことを考えていることが分かったのだろう。普段はどこか抜けているくせに、アレン・ウォーカーという上司はこういうときの勘は妙に鋭い。洞察力に長けていると言えばそれまでだが、なんとなく、その考えには自分の中で違和感を覚えた。
「それで、最初の質問になるわけですか」
「うん。でもまぁ、きっと神田はあげる側より貰う側なんだろうね」
「教団に来て二年になりますけど、二月十四日にそういった類の物を貰った覚えはありません」
「そうだね。丁度その頃は、いつも長期の任務だったから」
 だから、今年は大変だろうね。
 裏の無さそうな笑顔が可笑しそうに言い、神田の手元から数枚ほど書類を引き抜く。きちんと配分をしたのだから、という神田の抗議を遮るように――、
「僕は最低、三つは貰えるのかなぁ」
……独り言のように聞こえてきた催促の声は、とりあえず聞こえなかったことにした。















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THE やおい(やまなし落ちなし意味なし)
節分にフライングバレンタイン(しかも前日)ネタでした。
因みに、この話に続きはありません。
ネタはあったんですが、賞味期限が切れました。

08/02/03 canon





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