番外編−初めて尽くし 後編−
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「ねぇラビ、この本って全部ラビが集めたんですか?」
「そ!航海って長いと何ヶ月も海の上だかんな。下りる度に買ってたらこんなになった」
これでも一応減らしたんだぜ?と笑うラビに、カンダはワインを口に運びながら鼻で笑い飛ばした。
「万が一船が沈みそうになったら一番に捨ててやる」
「はぁ!!?冗談じゃねぇさ!そんな事絶対させねぇ!!!!」
「心配するな。お前も一緒に海に投げ込んでやる」
ギャンギャンと騒ぐラビは体勢を崩して椅子から落ち、本日2度目の雪崩が起きた。
僕はカンダの膝から下りてラビを助けようと思ったんだけど、腰を片腕で抱き締められていて動けない。
「ぷはっ!!あー、死ぬかと思ったさ」
「ぁあ?・・・・お前はこの船に乗って何十回死んだんだ?」
カンダは呆れた目でラビを一瞥し、視線を落として僕に酒を勧めた。ワインにしては仄かに甘い香りが漂ったけど、断っておく。
美味しそうに嚥下する様は余程の美酒なのかと訊いてみると、フランスワインだと答えが返ってきた。
娼館にいた頃にだって多くの酒を見たり聞いたりはしていたが、あの娼館はちょっと廃れていたからフランスワインなんて高価な
酒は置いていなかった。
ついジッと見入ってしまっていた僕に気付き、カンダは一口だけ、とカップを僕の口に押し当てる。
「・・・・・・・・・・・・おいし・・・」
「だろ?」
咽がカッとなったけど、僕の知っているワインより甘めで美味しかった。
それでも最初の宣言通り一口しか要らないという僕にカンダは薄く笑って、クシャリと髪を撫でられる。
「そういえばさ、アレン用事があったんじゃねーの?」
「あ、忘れてました」
カンダを見上げて、カンダは僕を不思議そうに見下ろして、息を吸い込んで声を出す。
「あのですね、ユウって―――――――」
ブハァアッ!!!!!!!
「・・・ラビ・・・・本汚れちゃいましたよ?」
口に含んでいたらしいワインを大量に撒き散らして、ラビは眼帯に覆われていない方の目を潤ませるほど咳き込んだ。
僕の声もおそらく届いていない。
気を取り直してもう一度カンダを見上げたら、
「・・・・・・・・・・カンダ?」
「何だ」
何だ、って・・・・なんか凄く怖いんですけど。
もしかして名前を呼ばれるのは嫌だった?でもラビは呼んでるのに・・・・・・。
「僕がユウって呼んだら・・・怒りますか?」
カンダの素っ気ない――――寧ろ不機嫌――――態度に少し哀しくなりながら訊くと、柳眉な眉がピクリと動く。
自分の名前が嫌いならどうしようもないけれど、ラビには呼ぶ事を許しているから・・・要するに僕に呼ばれたくないわけで。
常識的には有り得ないけど、僕に動物のシッポや耳があったなら間違いなく垂れていると思う。
シュンとしていると、上の方から溜息が落ちてきた。
「ごめんなさい・・・・・」
気に障ったのなら謝るから、怒らないで欲しい。
「あー、違う。泣くな」
知らないうちに涙目になっていた僕の顔を覗き込んで、人差し指が優しく目尻を拭ってくれた。
「別にお前に呼ばれるのが嫌なわけじゃねェよ。・・・誰にでも呼ばれたくねェけどコイツは殴っても聞かないだけだ」
コイツ、と指差されたラビは何故か誇らしげに微笑んで、次の瞬間には本の角が彼の顔面を直撃した。
本を投げた張本人のこめかみに薄く青筋が見えて僕は小さく息を呑む。
今のカンダの台詞を聞いて『じゃあ僕も無理矢理呼んでいたらそのうち許してくれるだろうか』と甘い考えを抱いていたんだけど
・・・・そうすればどうなるか、ラビが身を犠牲にして教えてくれた。
「俺は寝る」
カンダは不機嫌が最高潮に達するといくつかの行動を取る。
深くは酔えないお酒を浴びるように飲むか、水夫さん達に――――見付けたら止めさせるけど――――八つ当たりするか。
今のように眠りの中に身を投げるか・・・・・・大体はこの中のどれか。
因みにこの『寝る』という選択肢には僕も強制的に付き合わされるようになっているらしい。
「この部屋マジでどうにかしろ。捨てられたくねェなら片付けろ」
「アイ・サ〜」
いつの間にか復活していたラビからヒラヒラと手を振られ、僕はカンダの肩に荷物みたいに担がれたまま手を振り返した。
軽々と抱えられたまま通路に連れ出されて、人がいたら凄く恥ずかしいなと思っていたから、少し安心する。
幸いみんなまだ作業をしているのか、頭上でガタガタドタドタと足音がするだけ。
「ねぇカンダ、僕もう名前で呼んだりしませんから、本当に怒らないで下さいね?」
何となく、一応ちゃんと言っておいた方が良いかなと危惧して呟けば、何度目か分からない溜息が返ってきて。
カンダは無言のまま足早に自分の部屋に来て鍵を開け、中に入って行儀悪く足で扉を閉めると僕を抱え込んだままベッドに
倒れ込む。そしてまた溜息。
『溜息を一つ吐く度に幸せが逃げてしまうのよ』
と、娼館に務めていた女が言っていたのを思い出して、僕は僅かに眉を寄せた。
舌打ちと同じくらい癖になっているのか、カンダはよく溜息を吐く。それはつまり、カンダの幸せが物凄い速さで逃げているという事。
ラビが『ユウは足が速い』っていつか言っていたけど・・・。
ねぇラビ、カンダだけじゃ無くて、カンダの幸せも逃げ足が速そうだよ?
「おい」
「っ、はい!?」
僕をギュウギュウに抱き締めているカンダからの声に、口から心臓が飛び出そうになるのを堪えて返事をした。
顔を上げると、何故かいつもより顔の赤いカンダが目に入って。
僕の気のせいとか、光の加減とか、否定的な要素はいくつか上がったけれど、多分やっぱり赤い。
「・・た・・・・・と・・・なら、・・・・い」
「え?」
ごめんなさい、聞き取れませんでしたと言うと、カンダは僕と目を合わせないようにさらにきつく抱き締めた。
「二人きりでいる時なら、名前で呼んでも良い」
初めてラビの部屋に入りました。
初めてお酒を飲みました。
初めて、・・・・・カンダの照れた顔を見ました。
Allen walker’s diary.
-------『アレン・ウォーカーの日記』より。------
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canon 06 03 16 thu