クラッシュアイス



 部屋の中には本の頁を捲る音と、氷の山が崩れる独特な音が響いていた。

 青い半透明なガラスの器いっぱいに盛られたかき氷には赤い蜜がかかっており、苺か何かのシロップだろうと想像がつく。
 それをベッドの端に座って懸命に頬張るアレンを横目に見ながら、ベッドサイドに背を預けていた神田は夏の暑苦しさを凌ぐためにシャツのボタンを三つ目まで外した。

「暑……」
「ひゃんだもふくってきたら」
「クソ暑い時に謎解きさせるな。食い終わってから喋ろ」

 ただでさえ暑さに項垂れている時に、自分よりも幾分か涼しげな顔をして声を掛けてくる人間は、例え恋人であっても煩わしく感じてしまう。
 大体何故同じ部屋に居るのに、居候は優雅にかき氷を頬張り部屋の主は暇つぶしに本を読んでいるのか。
 神田は今朝から三分の一ほど読み終えた洋書を閉じると、同時に口の中を片付けたらしいアレンと目が合った。

「食堂に行ったら配ってますよ?かき氷。冷やし飴とか、水羊羹とか……」
「取りに行くのが面倒臭ェ」
「んもう……じゃあ一口あげます」
「それだけあって一口かよ」
「要らないなら別に良いんですけど?」

 ツンとそっぽを向いたアレンは見せ付けるようにかき氷を一口頬張り、キンと染みる冷たさも夏の風物詩と言わないばかりに口許を綻ばせる。
 ちらりと送られてくる視線は『本当に要らないんですか?』と問うているが、こんな態度に出られると素直に食わせろと言うのも癪な気がして、神田は眉を顰めた。
 食堂まで取りに行くのは面倒極まりないが、アレンのささやかな意地悪に付き合ってやるのも面白くない。
 普段は自分がアレンの言動を揶揄する事が多いために、こんなつまらない事で可愛い仕返しをされるとは思ってもみなかった。

「モヤシ」

 視線を戻したアレンは「やっぱり欲しいんでしょ?」と嬉しそうに悪戯な笑顔を浮かべたが、与えられたのは言葉では無かった。
 一瞬後、視界が天井を映し、背がシーツに触れる。
 何事かと目を丸くすると次に見えたのは端正な恋人の顔で、アレンは「何?」と訊こうとした唇を唐突に塞がれた。

「ン、ふっ」

 ガラスの器が手を滑り、ゴトンッと床に落ちて転がる音が耳に届く。
 次にアレンの聴覚を支配したのは、濡れた水音と自身の鼻にかかった甘い喘ぎだった。
 氷で冷えた筈の口腔が、意思を持って蹂躙してくる舌に熱を与えられる。ひんやりとしていた唇も何度も啄まれては次第に温度を取り戻し、アレンは逃れられないキスをただ必死に受け止めた。
 ぴちゃりと鼓膜を刺激する音に、無意識のうちに神田の胸に縋り付こうと指を伸ばす。
 けれどその指先が求める人に届く事はなく、アレンは潤んだ瞳でどうにか焦点を合わせようと目を細めた。

「か、んだ?」
「甘ェ。けど、食えない事も無ェな」

 ベッドから離れた神田は何事もなかったかのようにシャツのボタンを留め、脇に置いていた六幻を手に部屋を出ていこうとした。

「な、神田ッ、待っ、」
「俺は味見しただけだ。……何期待してんだ?お前」
「!?」

 羞恥に頬を染め上げ、アレンはキュッと唇を噛む。
 普段の仕返しに少しだけ揶揄ってやろうと思っただけのつもりが、まんまと神田の策に嵌ってしまった事が酷く悔しかった。
 言葉では求めたくないのに、火照った身体は部屋から立ち去ろうとする恋人を求めて止まない。
 このまま放ったらかしにされるなど、彼に比べれば随分素直なアレンには堪えられなかった。

「かき氷なんて、後でいくらでも食べられるじゃないですか。……僕は、今だけですよ」

 言った本人も少しは恥ずかしいのか、すぐに俯いてしまったその仕草に、神田は出て行こうとした扉に背を預けて片手で口許を覆った。
 本当に、どこまでも飽きない生き物を恋人に持ったものだと笑いが込み上げる。
 クツクツと笑う声にアレンは目許を羞恥に染め、『言うんじゃ無かった』と後悔を始めていた。

「要らないなら、良いですよ。別に」

 半ばふて腐れたような口調に、一頻り笑った神田はフッと吐息を吐いた。
 ----- せっかくアレンが誘っているのに、逃す状況は惜しい。
 甘い喘ぎ声を漏らして、シロップよりも甘い蜜を溢れさせて自分に縋る様は、何よりも甘美だと神田は知っている。
 かき氷などの類は氷自体が無くなればしばらくはお目に掛かれない筈だが、甘いもの嫌いな神田は、氷菓子よりも癖になる甘い存在を選んだ。
 たかが氷菓子と比べるほど、アレンからの誘いは安くは無い。

「……いや、」

 逸らされた筈の銀灰が、期待と羞恥を込めてちらりと視線を戻す。
 情欲に飢餓を感じる瞳はそれだけで艶めかしく、神田は密やかに咽喉を鳴らした。

「有り難く喰ってやるよ」

















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