記憶の中の傷痕 04


鈍い痛みを訴える下腹部に雪色の頬を染め、アレンは時間をかけてベッドから身を起こした。 ギシリと悲鳴を上げるのはベッドのスプリングか、はたまた自身の身体か。 アレンは首を傾げて覚醒し切れない脳をフル回転させる。 母親だろう人と会って気を失い、次に目覚めた時はすぐに神田に助けを求めて意識を手放すまで抱いてもらい、・・・現在に至る。 あまりの醜態にボスンとクッションに顔を埋め、ハッと顔を上げた時にようやく愛しい人の姿が無い事に気付いた。 「神田・・・?」 ベッドの脇に散らかしていた筈の服はサイドテーブルに畳んで置かれており、几帳面な神田が服を畳む姿を見たことが無い わけではないが、思い浮かべると似合わなくて、クスクスと小さな笑みを漏らした。 アレンはのろのろと着替えを済ませ、洗面台の鏡の前でリボンタイをシュルリと襟元に結ぶ。 「どこに行ったんだろ」 適当に辺りを見回しても置き手紙のようなものはないので、この店の主人か誰かに行き先を告げているかも知れない。 宿の下は大体食事所か酒場になっている店が多いので、もしかしたら階下にいるかも知れないが・・・おそらくそれはないだ ろう、とアレンは苦笑する。 彼の事だ。きっとあの人に会いに行っている。 彼は優しいから、自分の代わりに・・・自分の触れられない過去を持って帰って来る。 捨てられた時の事は正直どうでも良かった。 お腹を痛めて、産まれてきた子供が化け物のようでは、捨てても仕方ない・・・納得は出来なくても、理解は出来るから。 「今更」だと笑う自分がいる。「どうして」と問いかけたくなる自分がいる。 『人は最強の矛と盾を持つ生き物なのだ』と、マナが言っていた。 それを恥じることは無い・・・とも。 アレンは部屋の扉を開き、廊下へ踏み出す。 あの婦人に駆け寄ったとき、アレンの鼻腔をアルコールの匂いがくすぐった。 外見で判断するのは申し訳なかったが、彼女にアルコールは似合わない。おそらく働いている場所が酒を扱っている工 房か、街にある酒場かのどちらかなのだろう。 キシキシと鳴る階段を下り、店の主人らしき老夫婦を見つけて歩み寄る。 「すみません、この近くにお酒を作る工房か・・・酒場はありませんか?」 「どういう事だ・・・」 「訊いていないの?・・・って、あの子も覚えてるわけないわね。0歳だったんだもの」 あの左腕がイノセンスである事をティシアは知らない筈、ならば何故あれが人を傷付けてしまう型を為すものだと知って いるのか。 自然に声が低くなる事を抑えられないまま問えば、ティシアは色んな感情が綯い交ぜになったような表情で溜息を吐く。 何度か口を開閉させ、時折苦しげに眉を寄せ・・・その間、神田は催促する事無く待った。 「あの子が産まれて・・・私は凄く怖かった。夫にも私にも持病は無かったし、まさかあんな子が産まれてくるなんて思わな かったから。でも、夫は・・・夫は敬虔な教徒で、あの子が産まれた瞬間に『呪われた子供だ』と半狂乱みたいになって・・・」 歯切れ悪く言葉を繋ぎ、それでもティシアは喋る。 「左腕を、斧で切り落とそうとしたのよ・・・そうすれば神も呪われた我が子を許して下さるって・・・ッ」 ―――――――――――ガタンッ・・・!! 目尻に涙を浮かべて顔を上げれば、柳眉をきつく寄せて佇む青年がいた。 怒りを露にした漆黒の瞳は美しく、けれど畏怖を与えるような輝きを放って。 「最低な親だな・・・アイツも捨てられて、結果養父に拾われて幸せだっただろうよ・・・・・・!!!!」 「・・・ッ、その時にあの子は自分の父親を・・・私の夫を殺したわ!だから怖くなって捨てたのよ!次は自分の番かも知れない なんて怯えながら一緒に生きていくなんて出来るわけ無いでしょう!?」 「!? ―――――・・・殺した・・・・父親を・・・・・・?」 耐え切れずに零れた涙を手の甲で無理に拭き取り、ティシアは首を縦に振る。 おそらくは、その光景を目の前で見たのだろう。 片手で口元を覆った神田は、地面がグラリと揺らいだ気がした。 養父をAKUMAにし、自身の手で壊したアレンは酷く傷付いた。その時の悲しみは元来薄茶だった髪が真っ白になるほど。 これ以上に無いくらいの絶望を知っているアレンが、もし自分が壊した命は大切な養父だけではなく実の父親もだと知ったら。 グシャリと前髪を掻きあげ、妙な脱力感に腰を下ろす。 「・・・左腕は形状を変えたのか?」 「えぇ」 産まれて間も無いアレンに自我は無い。 父によって切断されそうになったイノセンスはアレンの意思と無関係に発動し、結果殺してしまったのだ。 正当防衛と言えるかも知れない。自覚など無かったのだから、不可抗力だったと。 ・・・・・・だが、アレンは受け入れないだろう。 柔らかな優しさを持つアレンを、神田は心から愛しいと思う・・・けれどアレンは優しすぎるからこそ脆い。 養父をAKUMAにし、壊した罪悪感の上に新たな罪を背負う。 それを責務と受け止め、自身を追い詰め―――――それではアレンが壊れてしまうだけだ。 「・・・アイツを見ても、二度と話しかけないでくれ。俺たちもこの先アンタには関わらない」 「あの子に・・・夫の話はしないのね?平穏を護る為に?」 「アイツが悪いのか・・・?斧で赤ん坊の腕を切断しようとしたお前らに非は無かったとでも言うのかよ」 「卑怯だわ!!私は夫を失ったのに、あの子は君に護られながらのうのうと生きていくの!?」 「―――――ッ、アンタだって自分の身を護る為にアイツを雪の中に捨てたんだろうが・・・!!!!」 張り上げた声が店内に響き、じわりと静寂が訪れる。 賑わっていた酒場からはヒソヒソと囁き合う声がし始め、神田は自身の失態に舌打ちした。 テーブルの上にある注文表を掴み、ティシアに何も告げる事無く踵を返す。 当のティシアも半ば放心したようにテーブルに視線を落としたまま、去って行く神田に声を掛ける事は無かった。
 canon 06 03 11 sat
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