Printemps du gorgeousness



天蓋のベッド、豪奢なドレス、絢爛な装飾品。
数日前までこの手にあったのは、その日を生きていくためだけのギリギリの硬貨だったと言うのに。
「僕が一国の王女なんて、信じられるわけないよ」
アレンは数日前まで、森の中に住んでいた。
捨てられていた自分を拾ってくれた養父と色んな国を旅して、漸く一つの場所に腰を据えようと思って二人で森の中に家を作った。
雨漏りは酷いし、夏は暑くて冬は寒いけれど、アレンにとってはあそこが唯一の居場所だった。
キラキラと輝く「王女様のお部屋」は、きっと女の子なら誰もが憧れるのだろう。
けれど、違う。
アレンにとっては、ここは憧れの場所でも何でも無い。
どんなに美しくても、豪華でも、ここにはあの粗末な家ほどの温かさは無かった。
「マナ……」
椅子の上で抱えた膝に額を押し付けたとき、不意に出入り口の扉がノックされる。
はい、と答えたアレンは椅子に上げていた膝を下ろし、背筋を伸ばした。
「失礼します」
入ってきた黒衣の騎士は、あの森からアレンを連れ出した人だった。
会った時と同じで、艶やかな長い黒髪を首の位置で結い、腰には長剣を携えている。
国王の命令で動いたのだろう彼を責める理由は無いとは言え、顔を合わすのは辛かった。
それは、森から連れ出したことへの腹立たしさなどでは無くて。
「王女、」
「あ、あのッ」
声と共にひっくり返りそうになった心をどうにか宥め、立ち上がる。
と同時に、少し離れて立っていた彼は肩膝を床に着いてアレンを見上げた。
主従を思わせる距離に、チクリと心が痛む。
同じ人間が、どうして同じ人間の前に膝を着いたりするのか、アレンには分からなかった。
「はい」
甘いテノールと、漆黒の瞳が注がれる。
視線を逸らさないようにするのが一苦労だった。
「あの……泣いたりして、すみませんでした」
言葉に、騎士は少し考えた後で「あぁ」と声を漏らす。
娘を見付けたので迎えに行け、と王から命を受けて行ったは良かった。
森の中で暮らす年頃の少女は自分が王女だと知れば、例えその話に信憑性が無くても喜んで王族の旗を掲げる自分について来るだろう。
とても簡単な命だと思っていた。ところが、実際はそう上手くもいかなかった。

「僕はアレン・ウォーカーです。お姫様なんかじゃありません」
森の中の小さな馬小屋に住む少女。
王の家臣の家に生まれ育った騎士にとって、辿り着いた場所はそんな印象しか受けない住まいと住人だった。
真っ白な髪に銀灰の瞳。
特徴としては間違っていない筈だが、いくらなんでも間違いでは無いだろうか。
「ご足労頂き、ありがとうございました。どうぞお引取り下さい」
いや、ご足労頂いたのは自分では無くこの馬なんだが。
騎士が眉を顰めている間にも、少女は「自分には関係ない」とばかりに馬小屋の中へと消えようとしている。
(チッ)
不本意ながら、『もしも応じなかった場合は……』との君主の命令を実行せざるを得なくなってしまった。
「失礼致します、王女」
「え?」
ふわり。
浮いた身体に、王女らしき少女は目を丸くしていた。
そして騎士もまた、あまりに軽い、羽根でも付いているのでは無いかと疑いたくなるほどの少女を見て瞠目する。
こんな場所で暮らしている所為で、栄養が付いていないのでは無いか?
他人に興味の無い彼には珍しく、そんな心配までしてしまった。
「な、なに?何するんですかッ!?」
そのまま騎士が乗ってきた馬に乗せられた少女の後ろに、騎士が跨って手綱を取る。
突然の状況に少女は狼狽し、縋るように、睨むように騎士を見上げた。
「下ろして!!僕は姫なんかじゃ無いんです!!僕は捨てられて、マナに育てられて……ッ」
「王の話では、そのマナ・ウォーカーという男は友人だそうです。あなたが産まれた時に城内では派閥の争いなどがあった為、あなたの身を案じて友人に託したのだと」
「そ、んな……そんなの、知らない」
御伽噺よろしく、俄かには信じられないような話に、少女の瞳が揺らぐ。
まだ十五、六そこらの身体は細く、誰かに護られなければ生きていけないほど頼りない。
けれどこの少女は、王の友人で養父だったマナ・ウォーカーが死した後も、この場所で暮らしきた。
町に出ればもっと安全な暮らしが出来るだろうに、それでもこの場所を離れなかった理由を察して、騎士は小さく溜息を吐いた。
「帰る場所は、ここだけではありません」
共に、城へ行きましょう。
震える肩を抱いて背を撫でると、少女の瞳からぼろぼろと涙が零れ落ちた。
どの事柄が涙を流させるほど辛いのかは分からなかったが、城へと戻る間、胸にしがみ付いて離れない「王女」を、騎士は片腕で優しく抱いていた。

「あの時は……ちょっと、気が動転していて……」
頬を高潮させて恥ずかしそうに言う王女は、もう一度ごめんなさいと頭を下げた。
「謝らなければならないのは俺の方です。一国の王女に対して、手荒なことをしました」
「そうしろと、言われたからでしょう?」
お仕事なんだから、仕方無いですよ。
そう笑って言い切った王女に、騎士は床に視線を落としたまま眉間に皺を寄せた。
初めは気丈に自分を睨みつけ、この腕の中で泣き、数日経った今は微笑んでいる。
一体どんな育ち方をすれば、こんなに素直に人は育つのだろう。
「王が贈ったそのドレスへは、着替えないのですか?」
ふと目に付いた二つの大きな箱は、確か昨日の朝に王の命令で侍女が持ってきたものだった。
今日はこれから、そのドレスを着て民衆の前に出ることになっている。
「すみません……」
心を読まれたわけでは無いだろう。
ただ小さく謝った王女へと視線を移せば、右手で左腕をぎゅっと掴んでいる姿が映った。
「着たくないわけじゃ、無いんです。ただ、ドレスって凄く肌が見えるでしょう?」
アレンは伏せ目がちになりながら、視線を落とした。
この腕が年頃の若い娘のように美しければ、ドレスを着ることくらい何でもない。
民衆の前に立つことは気持ちが竦むが、ここへ来てからというもの、多少強引ではあるが、何不自由無い生活を与えようとしてくれている王に感謝の気持ちもある。
ドレスを着るだけでも王はきっととても喜びますよ、と昨日の朝に侍女から言われたものの、アレンにはどうしても着られない理由があった。
「生まれつき、左腕が悪かったとお聞きしました」
それが理由ですか?
真摯な瞳で訊ねられ、アレンは唇を噛んだ。
この腕の所為で酷い目に遭った過去は忘れられない。
俯いて泣き出しそうになるのを堪えていると、不意に騎士は立ち上がり、ベッドの上に置いていた箱に手を伸ばした。
「あ、あの、僕……」
戸惑う声を無視して、一つの箱の包みを解く。
ちらりと見えたシェルピンクのドレスは、きっと王がこの王女の為にと特注で作らせたものだろう。
「王は、王女が誕生されたときの姿を見ています。年頃になったとき、その左腕の所為でドレスが着られないかも知れないと思ったのでしょう」
取り出したドレスを王女へと見せるように拡げると、曇っていた瞳は驚愕に見開かれ、次いで泣きそうに歪んだ。
袖の長いドレスを受け取った王女はそれをぎゅっと胸に抱き、ここには居ない王へ小さく、けれど心から感謝の言葉を呟いた。
「もう一つの箱も、開けますか?」
漆黒に柔らかく促され、アレンはこくんと首を縦に振る。
どきどきと高鳴る鼓動を抑えて包みを解いていくと、中から出てきたのは胸元辺りまでしか生地の無い大胆なドレスだった。
落胆、とまではいかないが、さすがにこれを着ることは出来ない。
苦笑を浮かべて騎士を見上げると、彼は「失礼致します」と断りを入れて、箱の底へと手を伸ばした。
「あッ」
取り出したそれは、肩まで覆うことの出来る、ドレスと同じ鮮やかな青の手袋。
これなら、肩まである傷を隠すことが出来る。
お洒落な服とは、一生無縁だと思っていた。
なのにまさか、自分がドレスを着る日が来るなんて。
「……似合い、ますか?」
シアンのドレスを身体の上に合わせ、おずおずと騎士を見上げる。
彼はしばらく沈黙した後、数歩下がってドレスと自分の全体を見て、
「とても」
と、薄く微笑んだ。
お世辞では無い。
心からの言葉に、嬉しさのあまり零れ落ちた涙に慌てると、そっと指先で拭われる。
あぁ、この指だ。
あの時、泣きじゃくる自分を優しく抱いてくれたのは。
「ありがとう、ございます」
褒めてくれたこと、涙を拭ってくれたこと、二つへの感謝。
人に触れたのは、数年ぶりだった。
マナのことを忘れたくないと思えば思うほど、感じていた温もりは消えていったから。
嬉しくて、安心して、ぼろぼろと泣いてしまった。
「あの、騎士様」
「神田、です。今日から、あなたの側近になる……それを伝える為に、ここへ来ました」
「カンダ……様」
「様は、要りません。アレン王女」
フッと笑った口許が、今までの彼の言葉遣いを裏切る。
この人は、こんなに丁寧で、穏やかな人じゃない。
騎士だから、という理由以外の何かを見つけた気がして、心臓がとくん、と鳴った。
「僕も、敬称は要りません。名前で呼んで下さい」
告げられた言葉は、拍子抜けするような内容だった。
どう考えても、家臣である自分が王族の、王の愛娘を呼び捨てにするなど有り得ない。
いくらここ数年を森の中で暮らし、人とほとんど接する機会が無かったとは言え、その辺りの常識をマナ・ウォーカーはこの王女に与えなかったのだろうか。
今は亡き王の旧友に、心の中で小さく舌打ちをする。
小動物のような大きな瞳に見詰められても、その願いは聞き入れられない。
自分は家臣であり、この少女は、いずれこの国を統べる存在だ。
「そのような無礼を働けば私は処罰され、国を追われることになります」
実際そこまでの処罰は受けないだろうが、多少事を大きく言った方がこの世間知らずの王女には効くだろう。
そして、その判断は正しかった。
正確には、正し過ぎた。
「そう、ですよね……すみません、変なことを言って」
音も無く、表情が消え失せる。
落胆、寂しさ、哀しみ、諦め。
その全てを含んだ、笑顔。
常識が、無いわけではない。
この王女は城へ来てから、『念の為に』と就けられた教育係から、ただの一度も指導を受けていないことを思い出す。
それもたったの一日で、教育係の方から「自分は必要ないようです」と言ってきたのだ。
マナ・ウォーカーはきっと、旅をすることで様々な人種に王女を関わらせ、王族の中で生きられるように教育を施していた。
人前での立ち居振る舞い、言葉遣い、仕草。
きちんと枠に填まった有無を言わせない完璧さと、そこに共存させることは不可能のような、自由で豊かな心はそのままに。
「あの、カンダ……」
「何でしょう?」
「二人っきりのときでも、ダメですか?」
……常識はある。
だが諦めは悪いらしい。
「アレン王女……」
「あ、だ、ダメですよね? ごめんなさい。忘れて下さい」
自分でも悪足掻きだと思いつつ口にしたのだろう。
両手と首を振ってアハハと意味も無く笑った横顔には、翳りが落ちていた。
「ねぇ、カンダ。どっちを着ましょうか? どっちが似合うと思います?」
「民の前に、出られるのですか?」
あぁ、確かに、ドレスを着て王に会いに行くということは、そういうことだ。
いずれ自分が背負う命を、この目に焼き付けなければいけない。
そんな器量や度胸が、この自分にあるのだろうか。
「皆は、僕をどう思うだろう」
噂があったとは言え、突然現れた王位継承者に民衆は何を思うだろう。
ぎゅ、と握り締めた拳が震える。
受け入れられないことの辛さは、この腕のおかげで十分知っている。
敏感になってしまう心を叱咤しても、簡単には浮上してくれなかった。
「大丈夫だろ、お前なら」
「え?」
拙い。
今、俺はなんて言った?
「カン、ダ?」
「……」
ぐっ、と言葉に詰まったカンダに、思わずぷっと噴出してしまう。
だって、可笑しい。
名前には敬称を付けなければいけないと言いながら、「お前」って? 「お前」って?
「あ、ははッ、カンダって……」
普通なら激怒するだろう発言に笑い出した王女は、「お腹痛い」と咳き込みながら前のめりになっている。
これはどこの国の姫だ。
否、これは本当に姫か?
「あーっ、可笑しい。カンダって面白い人ですね」
あなたが側近になってくれて、嬉しいです。
お前呼ばわりされたあげく、そんな男が側近になってくれて良かったなどという王女は、世界中を探してもこの少女だけだろう。
こんな王女、今までに見たことも聞いたことも無い。
そしてきっとこれからも、
「さて、と……行きましょうか」
思わず、どこへ?と訊ねそうになった口を噤む。
手の中にあるドレスを見る双眸には、いつの間にか決意の色が浮かんでいた。
この国の行く末を背負う覚悟を宿した瞳に、迷いは無い。
王族の血は、確かに受け継がれている。
大丈夫だ。
思ったままに口に出してしまった言葉を、神田はもう一度心の中で呟いた。




















シアンのドレスを身に纏って現れた少女に、その場に居た誰もが息を呑んでいた。
王から、「娘を城に迎える」と聞いて、然程経ってはいないだろう。
反感の声は表沙汰にならなくとも、そこかしこで上がっていた筈だ。
けれど今この場に、アレンを非難する声はもちろん、好奇の視線など一対として有りはしない。
凛とした横顔は、誰が見ても王の気質を受け継いでいる。
王に絶対の忠誠を誓っている臣下たちは皆、この突然現れた少女に、主と同じものを感じていた。
「アレン様、こちらです」
王への挨拶を済ませたアレンは神官に誘導され、大きなテラスへと続く扉の前に立った。
扉を閉めていても聞こえる、幾万の民の声。
覚悟は決めたつもりでも、いざここへ立つと逃げ出したくなってしまう。
きっと、これから色んなことを知るだろう。
ここは、今までの生活とは無縁だった世界の入り口なのだから。
「カンダ」
「はい」
すぐ後ろに控えていた騎士の声に、ほっと胸を撫で下ろす。
彼が居てくれると思うと、竦んでいた心も奮い立たせることができた。
「一緒に、行ってくれますか?」
自分が知らない世界へ。
そして、この国の行く末まで。
あなたはずっと、僕の騎士でいてくれますか?
「王女が望む限り」
「……ありがとう」

開かれた扉の向こうから、鳥肌が立つほどの歓声が湧き上がる。
家臣も、神官も、王さえも、この瞬間をきっと、生涯忘れることは無いだろう。
それは世界を見据えた王女が一歩を踏み出した、絢爛の春の幕開けだった-----。











きみのーすがたーきみのーこえーをさがしーてたー。
(書きながら聞いていた曲。飛び立つ瞬間、みたいな)

07/09/11 canon



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