計画的ショコラティエ



とろとろ甘いそれを、芸術的に形作ってしまう指を、目で追っていたのはいつからだろう。


単に甘いものが好きで、成形作業をガラス越しに見学できるケーキ屋の前で足を留めるのが日課になっていた。
学校の帰り、買い物の帰り、遊びの帰り。
駅から真っ直ぐ伸びた道沿いにあるその店は家に帰る途中で絶対に通る店で、何度かケーキを買ったこともある。
だけどあの芸術的なチョコレート菓子だけは、食べる機会を逃していた。
だってあんなに美しいもの、食べてしまうのは勿体無い。
どうせならいつまでもいつまでも飾って見ていたいのが本音だけど、冬の気配も近付いてきた今日この頃、そろそろ暖房を入れようか、なんて考えている時期にそれは不可能だ。
そんな理由で、大変残念ながら今まではこのガラス越しに見ているだけだった。
今までは、

「おい、そこのモヤシ」
「モヤシ?」
何のことだろう、と周囲を見回していると、お前だお前、と失礼な声を掛けられた。
「この店、今日は振り替え休日で休みだぞ」
「え、あー……そうみたいですね」
振り返ると、そこには両手に大量の買い物袋を提げた青年がいた。
ご丁寧に教えてくれたのは有り難いが、店の出入り口には「本日休業」の紙が貼られているのでさすがのアレンでも分かっていた。
それでもこのガラスの前で足を留めてしまうのは、最早習慣なのだ。
長い髪を首の位置で纏めた青年はしばらくこちらをジッと見ていて、アレンはなんとなくこの場を立ち去る機会を失う。
いっそご丁寧に教えてくれたことに礼を言うべきか、人を野菜の名前で呼んだことを怒るべきなのか迷っていると、
「入れよ」
突然何を言われたのかと目を丸くしていれば、青年は大量の荷物を片手に纏め、空いた方の手でポケットから鍵を取り出した。
(ここの、店員さんだったんだ)
下手なことを言わなくて良かった。
正直な感想を心の中で漏らしていると、おい、と再度声を掛けられる。
「いつまでもそこに立ってると、風邪ひくか不審者扱いされるぞ。早く入れ」
「……はい。お邪魔します」
不審者はともかくとして、いつまでも外に立っていたせいで身体が冷えていたのは事実だった。
アレンは会釈程度に頭を下げて青年の脇を通り過ぎ、チリン、とベルの鳴る扉を押し開ける。
いつもはイートインの賑わっている店内も休日はさすがに静かで、いつも来る店の雰囲気とは随分違った印象を受けた。
(あったかい……)
調整された室温も心地良く、ふんわりと甘い匂いの香る店内はいつ来ても魅力的でつい口の端が綻ぶ。
微かに聞こえるピアノの音色は題名は思い出せないけれどどこかで聴いたことのある曲で、何だか懐かしい気持ちにさせてくれた。
何度も来たことのある店なのに、今日は改めて気付くことが多い。
お客さんがいないだけでこんなにも新鮮に感じることが多いのかと思うと、ここへ招いてくれたこの失礼な青年に感謝の気持ちが湧いた。
「こんな素敵な所で一日中働けるなんて……羨ましいです。おいしすぎます」
「どういう意味の『おいしい』だ」
素直な感想にフッと笑った青年はアレンの横を通り過ぎ、カウンターへと荷物を置く。
ちょっと待ってろ、と言ってテキパキと片付けをし始めたこの店員の手際の良さは、ここでの勤務が長いことを教えた。
言葉通り大人しく待っていたアレンは店内を眺めながら、ふと忙しなく動き回る青年の手に視線を留める。
(あれ? 僕、この人と会ってる?)
何故そんなことを思ったのかは分からない。
ただ漠然と、「知っている」という意識だけが頭の中でぐるぐると渦巻いた。
アレンが悩んでいる間に一通り片付け終わった青年はいくつかの材料を持って今度は厨房の中へと消えていき、そして出てきたときには、手に二つのマグカップを持っていた。
「そこ、座れ」
促され、アレンは大人しくカウンターの一席へと腰を下ろす。
もやもやとする考え事の原因は分からないまま、差し出されたホットチョコレートの入ったマグカップを受け取るときも、視線は無意識にマグカップを渡してくれた指先へと向いていた。
「ありがとうございます」
「火傷すんなよ」
自分はコーヒーを飲んでいるのか、カウンターの中に居る青年のマグカップからは芳香な匂いが漂ってくる。
甘い物好きなアレンとしてはホットチョコレートの方がもちろん嬉しかったが、初対面の人間に出す飲み物にしては珍しい。
自分を常連と知ってのことかと思ったが、それならもっと親切な対応をしそうなものだ。
さすがに、客相手に「モヤシ」は無いだろう。
憮然とした表情でコーヒーを啜る青年をちらりと盗み見すると、今更ながら彼は稀に見る美形なのだと気付く。
立っているときは特に気に留めなかったが、カウンター席はテーブル席よりも椅子が高いので、アレンと青年の視線の位置は自然と同じくらいになっている。
切れ長の黒曜石に、艶やかな黒髪。無愛想こそ威圧感があるものの、それすら彼を「綺麗」と形容するものの一つだと思う。
こんなに綺麗な同性なら一度見れば忘れない気がするが、アレンの記憶にある限り、この青年を店の中で見たことは無かった。
(パティシエなのかな……表には出てこないから、会ってないだけ?)
「……飲めるんだな」
湯気の立つホットチョコレートを少しずつ飲んでいたアレンの耳に、不意に驚いているような声が届く。
カップを下ろしてことりと首を傾げると、青年は溜息混じりに言葉を続けた。
「いっつも見てるだけだから、食えねェのかと思った」
「いっつも、見てる?」
「ショーガラス越しにいっつも見てんだろ。なのに物は買って行かねェらしいから……試したんだよ」
ショーガラス?
試す?
「え?」
本気で解らない、という顔をしたアレンにチッと舌打ちすると、青年はまた厨房の奥へと引っ込んでしまった。
何か気分を悪くさせてしまったのかとおろおろしていると、奥から何やらガラスケースのような物を持って戻ってくる。
あまり目にした事の無い布を被せたケースを見詰めると、「冷気を逃がさない為の布だ」と簡潔な説明が返ってきた。
「これなら見覚えあるだろ」
するり。
布の下から姿を現したソレに、アレンはあっと声をあげた。
「これっ、この間の作りかけだったやつ……完成したんですか?」
「さっきな」
「綺麗……やっぱり、こう綺麗だと食べるの勿体無くなりますよねぇ」
「これはディスプレイ用で売り物じゃねェが……」
がっくりと肩を落として呆れた声を出した青年を見上げれば、「そんな事が理由か……」と何やらぼやいている。
アレンは項垂れた青年の顔とケースの中のチョコレート菓子を交互に見たあと、もう一つ、あることに気が付いて、
「あぁぁあああああッ!?」
店内に響き渡るほどの大声をあげた。
「やっと気付いたか、マヌケモヤシ」
「あ、嘘っ、だって……」
「チョコばっかり見てるから気付かなかったんだろ。俺はその間抜け面、見飽きたけどな」
クッと咽喉で笑った青年を睨め上げるが、真っ赤になった顔では全く迫力が無い。
衝撃の事実に口をぱくぱくと開閉させていると、口の中に何かが放り込まれ、アレンは「んむぅっ」と妙な声を漏らした。
「新作だ。旨いだろ?」
口腔に広がるすっきりとした甘味と鼻から抜ける香りに、思わず頷かないではいられない。
けれど、悔しかった。
指とチョコレートはいつも見ていたのに、それを作っている人がこんなに綺麗で意地悪な人だったなんて!!
「美味しいです!!美味しいですけどズルイ!!納得がいきません!!」
「気付かないお前が悪い」
「大体、僕はお前でもモヤシでも無く、アレン・ウォーカーっていう名前で……ッ」
「そうか。じゃあアレン・ウォーカー、」

ずい、と目の前に突き出された紙には、『アルバイト募集中』の文字。
紙を突きつけている青年の口許には、有無を言わせない薄い笑み。

「『美味しい』バイト、する気あるか?」

扉の向こうには甘い誘惑、甘い罠。
















ほどけていいですか?
とろけていいですか?
……いいですか?
(今をときめく「紗○」のCMより)


07/09/15 canon





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